2008年12月31日水曜日

『人間(じんかん)到るところ青山あり!』



 長野県と山梨県の県境に、「中部国立公園」に指定されている南アルプスがあります。これを山梨県芦安の「夜叉神峠」から眺めますと、実に綺麗な山並みが目の前に広がっているのです。何時でしたか、友人たちと温泉につかりながら、旧交を温めておりましたときに、『景色の綺麗なところがあるんだけど!』との私の提案で、この峠に登ったことがありました。意外と急峻で、革靴で登り始めた友人が、途中であきらめようとしましたら、『もう少しですよ。峠に上がったら景色が素晴らしいから、続けてください!』と登山帰りの方に勧められて、励まし合いながら登ったのです。やはり、あの方の言れたように、友人は、息を飲むような景観を、しばし時を忘れたように眺めていました。この南アルプスは、小学校の社会科で学習したときは、「明石山脈」と呼ばれていたのですが、何時からか、ヨーロッパ・アルプスに倣って、カタカナ読みの山になってしまったようです。この明石山脈の北の端にある「甲斐駒」が、ひときわ高くそびえていて、私たち家族は、この山の頂を遠望しながら、35年の歳月を過ごしたのです。




 この南アルプスの西側に、「駒ヶ根」いう町があります。そこは、最も気に入った街なのです。34、662人(19年統計)ほどの街ですが、空気が綺麗ですし、食べ物も美味しいし、人情もきめ細やかで、もう何年も前から、「終の棲家」にしたい思いに駆られているのです。杉本市長が、市のホームページで、『駒ヶ根市は、長野県南部・伊那谷のほぼ中央にあり、西に中央アルプス、東に南アルプスの雄姿を望む「ふたつのアルプスが映えるまち」です。世界に誇れる中央アルプスロープウエーと駒ヶ根高原、早太郎温泉、青年海外協力隊訓練所、長野県看護大学などがあり、多くの人々が訪れるまちです。自然豊かな信州駒ヶ根へ一度お越しください』と紹介しておいでです。果たして、この街に住むことが出来るでしょうか。




 金峰山の奥深い渓谷で生まれてから、ここ福州の今の家に至るまで、19回も引越しをしてきました。決して飽きっぽいからではないと思っているのですが、《寄留者然》として、これまで生きてきたことになります。それぞれの村や街に思い出がこめられていますが、さて20回目の引越し先は、いったい、どこになるのでしょうか。この先、「駒ヶ根」への引越しは実現できるのでしょうか。何度も死線を越えて来た私ですが、もしかしたら、足腰が弱くなってしまって、4人の子どもたちの誰かのところで世話になるのではないかなと、弱気に思ってしまうこともあるのですが。それでも、まだまだ健康が支えられていて、車を運転しなくなって歩き専門になりましたから、急ぐときには小走りすることも出来ますし、食事は美味しく食べられますし、テニスだってしてみたいし、したいこともまだまだあります。秋田の農村で生まれた知人が、ご自分の生涯を振り返って記した記事を、先日読みました。真冬でも隙間風の吹き込む東北の寒い農家に生まれ育って、仕事の一線から退いた今は、大都会のアルミサッシの窓で密閉された暖房完備のマンションに住んでいる、その違いを、回顧されていたのです。




 下の息子が、『俺が面倒見るから、俺の所に帰って来て!』と、2年ほど前に言ってくれたのですが、そんな安全牌を握りながら、双六上がりが出来るかも知れません。私たちの結婚式の直後に召された父にも、まだまだしたかったことがあったに違いないのですが、残る家族へのことばも記さないままでした。昨日のこと、一緒にバスケットボールを、中学でした友人のノリヤスのことを思い出していました。彼も悪戯小僧で、気の合った仲間だったのですが、20年ほど前になるでしょうか、病気を得て不帰の人となってしまいました。『友は逝き、父も逝く。ただわれ残る。残れる日(とき)に何をなさむ!』、『時間過了非常快!』、でも『人間到処有青山(故郷ばかりが墳墓の地ではない、人間の活動のできる所はどこにでもあるの意。大望を達するために故郷を出て大いに活動すべきことをいう『広辞苑』)!』ですよね。地球は広いし、どこででも死に逝くことができそうです、天なる故郷に還る日までは。さあ来年も、《万年青年!》を掲げ、感謝の思いをもって、父と友の分も生きることにしましょうか。切望の大晦日であります!




(写真は、「甲斐駒ー夕景5月9日・リゾート?都市生活 in 甲府そうだ、甲府に行こう。」、「夜叉神峠から見た南アルプス」、「MSN・相模湖」、「グーグル/八郎潟」、「駒ヶ根近辺の特産の林檎」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。