2008年12月18日木曜日

拳とペン


 とても恥ずかしいのですが、子どもの頃から喧嘩早くて、23くらいまではよくしてしまいました。その1つのきっかけは、『泣いて帰ってきたら家に入れない!』と、子どもの頃に、父に言われたからなのかも知れません。『喧嘩をして来い!』と、暴力を私に強いたのでは決してないのです。父は、《めそめそした男の子》には育って欲しくなかったのに違いありません。泣き言もいえないし、泣き顔も見せられないのですから、上級生に殴られても、涙を拭いて、ぐっと悔しさで唇を噛んで帰らなければならなかったのです。家の前に、4人姉妹の中のたった一人の男の子で、「まこっちゃん」という一級上の男の子がいました。これが女の中の男にしては、実に喧嘩っ早くて悪戯小僧だったのです。仲がよくてよく遊んだのですが、時には喧嘩になって殴られることも、取っ組み合いをすることもあったわけです。小学校の1年違いの体力差は大きかったのですから、こちらがいつも劣勢で、組し敷かれてしまうのです。ところが、こちらは泥をつかんで顔めがけて放り付けて、その難を逃れるわけです。男兄弟4人の三男坊ですから、磨かれるのでしょうか鍛えられるのでしょうか、喧嘩上手に育ち上がったのだと思うのです。学校は病欠だらけで、ひ弱かったのですが、その反面特技は「喧嘩」だったのですからお笑いです。家に入れてもらいたいし、夕ごはんも食べたいのですから、喧嘩して負けて泣いて帰ってくるわけには行かなかった、「生理的理由」があって、腕を磨いたのです。



 同じ暴力でも、「ことば」の暴力も、「ペン」の暴力もありますね。言論の自由な社会ですから、何を言っても書いても言いかというと、矢面に立たされた被害者がいるのですから、そういうわけにはいかないのです。『爺の七光り!』、『苦労知らず!』、『漢字能力が足りない!』と揶揄して、麻生首相を攻撃しています。正直に物言いをすると、『失言だ!』といいます。首相は生来、そういった弁を気にしないタイプなのだそうです。が、かりにも自分たちの国で、合法的に選ばれた首相を尊敬することが出来ないで、《馬鹿扱い》して、こき下ろすことに終始するマスメティアのカメラやマイクロフォンやペンは、拳の暴力よりも醜いのではないでしょうか。それは《天に唾を吐くこと》に違いありません。終には己に帰するのです。そんな国はどこにもないのです。

 『これからの時代が必要とする指導者は、豪腕で手腕を披瀝する者よりも、弱さを正直に見せる者の方が好ましい!』という方があります。『敬意を示せないで、批判ばかりの諸氏よ、お前やってみろ!』といいたいのです。そういう輩には、鍛え上げた拳で喝を入れたい・・・・おっと、いけません、暴力は邪道ですから。出来もしないのに、批判だけするのは子供の喧嘩ではないでしょうか。そんな喧嘩には巻き込まれたくないものです。平成の代になって総理大臣の量産がなされて来たのですが、麻生さんには、じっくりと腰をすえてやって頂たいのです。そして私たち国民は、どこにいても温かく見守っていきたいのです。なぜかといいますと、彼は私の兄と同じ年の生まれで、喧嘩の相手の世代なのですから、ただそれだけの理由で。


 

 日本がよい国の姿を取り戻して欲しいのです。自信喪失の国なんていただけません。自信過剰で傲慢になるのはもっと酷いことですが。媚びたり釈明したり卑下するだけでは国は成り立ちません。この時代の若者が、国際社会を自信と誇りとを持って、心ある脚で闊歩できることを願うのです。過去の過ちは過ち、罪は罪として認めたからには、頭(こうべ)をあげて、明日に向かって進んで行き、アジアの国のリーダーとして、隣国と平和で友好な関係を持ち続けていく努力を重ねるべきではないでしょうか。中国が、環境衛生の分野でも、モデルとして日本を見ていてくれることを知るときに、関係回復のもう一歩が取れたことを知るのです。さて、あの悪戯小僧のまこっちゃんは、どうしているのでしょうか?そんな思いの十二月の福州であります。

(写真は、「子供の喧嘩・http://blog.livedoor.jp/moritoku1962/」、「ペンを握る手」、「日本」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。