2008年12月1日月曜日

過去、現在、将来


 今日は、人民解放軍(旧・八路軍)の「退役軍人」のご夫妻とお会いすることができました。私たちの17才の若い友人の祖父母なのです。早く結婚していれば孫の世代になるのですが、そんな若者たちとの不思議な出会いをここ中国でしております


 先日、その彼を我が家に招いて、食事を共にしたのですが、その返礼にでしょうか、今日は彼のおじいさんとおばあさんとお母さんが招待してくださって、おもにおばあさんが作ってくださった豪華な料理をご馳走になったのです。大きな食卓に、十三種類もの料理をいっぱいにして、私たちを迎えてくれたのです。水餃子も二種類もあり、ここ福州でお祝いや賓客歓迎の席に供する料理もありました。食卓を7人で囲んで食べながら、歓談の一時を持ちました。こんな歓迎を受けて、美味しい料理をたくさん頂き、家族のお気持ちを無にしてはいけないと、意を決して《たらふく》食べてしまいました。



 お話によりますと、おじいさんとおばあさんは《幼馴染》で、上海の北に位置する「江苏省(南京が省都)」の農村の出身で、23歳と21歳で結婚をされ、その《成り染め》まで聞かせていただきました。おじいさんは17歳で軍人として国防に当たられた方で、相当な高級軍人だったようです。またおばあさんも15歳で軍人になったそうで、退役軍人のアパートで悠々自適な老後を過ごしておられました。おじいさんは、日本に対してとても好意的なことを話してくださいました。また、率直で正直な物言いのおばあさんは、子どものころの話を熱く語られ、私たちの『何でも正直にお話ください!』との願いに答えてだったのです。まだ小さなころ、住んでいた村に日本軍が攻め込んできて、殺傷したり焼き討ちをしたのを目撃しているそうです。その残忍さに恐怖を覚えて、『震えていたことがありました!』と言っておられました。彼女自身も火傷を負ったそうです。その様な幼い日の衝撃的な体験を控え目に話してくれたのです。その様な、辛い過去の実体験をお聞きして、私には何も弁解することは出来ませんでした。そんな背景があってでしょうか、お二人とも国防に身を投じたようです。


 私が知っている軍人特有の高圧的な態度のまったくないお二人で、かつての日本軍の侵攻に対して、『真的对不起(本当にごめんなさい)!』と謝罪をしましたら、『過去のことです。あなたが謝ることはありません!』とのことでした。『あの戦争は、一部の日本軍人がしたことで、大部分の日本のみなさんは良い方なのです!』とも言ってくださいました。その様な中国のみなさんの正直な思いを、軍務に着いた経験者からお聞きすることができ良かったと思わされたのです。



 天井なしだといわれる高値の鉄観音茶を入れてくださり、新疆ウイグル自治区の木の実や果物、天津名物の麻花というお菓子などを食べながら、楽しい時を過ごしました。最後には、コーヒーまで入れてくださって、上にもおかないおもてなしを受け、帰りには両手イッパイのお土産までも頂いてしまいました。玄関では、厚い握手を交わすことが出来、家内とおばあちゃんとお母さんとはハグまで交わすことが出来ました。事実を、言い訳なしに潔く認めるときに、関係は緩和されていくのでしょうか。

 両国の戦争が終わって63年が経ちました。私たち相互には過去がある、でも過去を責め、過去を言い訳するだけで終わるのではなく、両国と両国民の友好と協力のために、将来に向かって、互いに手を取り合っていくべきだということを、彼の祖父母とお母様との握手に感じたのです。『息子には、中国と日本との友好のために働いて欲しいのです!』と涙ぐんで話しておられた彼のお母さんのことばが強烈でした。出会いと交わりに深く感謝して!

(写真は、「炒面粉」、八路軍の兵士が履いた「草鞋(わらじ)」、友好の「握手」です)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。