「武士道」
昨年の秋に、久しぶりに札幌を訪ねました。青年期に、この町に憧れたのですが、ここで学んだり住んだりする機会を得ませんでした。
私は、時の北海道開拓使長官・黒田清隆に請われて、1876年(明治9年)札幌農学校の教頭に就任したクラークが好きだったのです。彼の『少年よ、大志をいだけ!』を聞いて、『少年の私は、大きな志をもって生きるべきなのだ!』と言う挑戦を受けたからです。そして彼の間接的な薫陶を受けた、内村鑑三や新渡戸稲造に強烈な関心を寄せたのです。明治期に、アメリカに渡って学問をし、西洋のものの考え方を身につけて帰って来て、それなりの主張を、この二人が日本の社会の中でしたからです。
とくに、稲造の著した「武士道」は、実に興味ある本です。私の次男が送ってくれて、改めで読み返しました。
その彼が、中国の春秋時代の思想、そして西洋思想に触れて、日本人を見つめ直したことに意味があります。彼は、『われ太平洋の橋とならん!』との志を持って学び、後に国際連盟の事務局次長に就任し、また教育事業に従事して行くのです。偏屈な亡霊のような侍にではなく、彼が国際社会に通用した人となったことに意味があるのだと思うのです。
その彼が札幌で学んだ1つの事は、『紳士たれ!』と言う事でした。彼の学んだ学校の学則が、この一言だったのです。その稲造や鑑三の薫陶を受けた、田中耕太郎が、「教育基本法」の草案者の一人でした。文部大臣だったのです。私が受けた戦後教育は、ここに基本があったのです。その前文に「真理と平和を希求する人間の育成を期する」とあります。ところが、新しい基本法からは、「平和」が除かれ、「正義」が加えられているのです。国の正義のために、「平和」が犠牲になるのでしょうか。
国の行き先が誤らないことを切に願う、春待望の今日この頃であります。