必要不必要
語学教育で、一番学習効果を上げられるのは、軍隊の学校だと言えるでしょうか。日本理解者として著名であるドナルド・キーンは、コロンビア大学の学生の時に、カリフォルニアにあった、アメリカ海軍の日本語学校に入学して、短期の徹底教育を受けます。この学校では、半年もたたないうちに、そこで学ぶ者全員が、きわめて難解だとされている日本語を話せるようになり、しかも日本語新聞を判読できるようになったそうです。
そういえば、5年ほど前に、カリフォルニアのサン・ホゼに行きましたときに、まだ十代のアメリカの兵隊さんが、実に流暢な日本語を話していました。『どれくらい学んだの?』と聴きましたら、『軍の学校で半年学んでいます!』と言っていましたが、後ろを向いていたら、『日本人が話している!』と思わせるほどでした。軍隊内では、それだけの学習効果を挙げることが可能なことに驚かされたのです。
アメリカ社会が、日本社会と全く違っていたのは、敵性語の捉え方でした。わが国は、野球用語の中にある米英語を使うことを禁じて、「ストライク」を『よし!』と言い換えてしまうほどに、米英語を嫌悪したようです。『剃刀の刃のようだった!』と評されるほどに鋭い頭脳明晰な人物でさえも、通訳者の声をレシーバーで聞いて、裁判に臨んでいたのが、印象的でした。ところが同じような戦時下で、アメリカは、戦後処理を考えたのでしょうか、徹底的な特訓を青年たちにさせて、日本語を教え込んだのです。
中学に入った時に、英語の先生が気に喰わなかった生意気な私は、英語学習への関心を全くなくしてしまいました。それでも、試験の点数だけはよかったのですが、英語が身につかないままで終わってしまったのです。あの時から合計しますと、少なくとも8年間も学んだのに、英語理解の乏しさに、実にさびしいものを感じてならないのです。その上、私はアメリカ人ビジネスマンと、7年も一緒に働く機会がありました。それなのに下手なのです。彼があまりにも日本語が上手だったこともありますが。
『中国では、4歳の子どもが英語を学んでいます!』と聞きます。若者の英語熱は非常に高く熱いものがあり、多くの青年たちが流暢に英語をしゃべるのを耳にします。好き嫌いの問題ではなく、「必要不必要の問題」からの学習なのです。駅前に英語塾なんて無いのにです。
日本の学校では、あんなに時間をかけて来ましたし、小学校から英語教育をしようとする動きがあるのに、学校教育の学習効果が上がっていないわけです。結局は、ハングリーかどうかの違いのようですね。こちらのラジオ放送では、英語放送の時間が決まっていて、軽妙な語り口の英語を誰でも聞くことが出来ます。今、中国語を学んでいますが、なかなか進まない自分に、腹立たしい思いがしてならないのです。効果的な方法などありません。あるのは一歩一歩、一句一句の前進のみなのでしょう。