2007年6月3日日曜日

「三つ撚りの糸は・・切れない!」


 私の好きな格言は、『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ご馳走と争いに満ちた家に勝る。』と言うものです。そこには、小さな感謝の積み上げがありますし、平和を希求する意識が満ちています。奢侈贅沢を嫌っていますし、競争社会の問題点を突いているのです。

 嫌いなのは、『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。』と言う言葉です。これは、格言とは言えないかも知れませんが、天皇の兵士が守るようにと訓示された「戦陣訓」の一節です。時の陸軍大臣東条英機が、中国を侵略した兵士たちによる、中国の婦女への陵辱や物品の盗みが横行する中で、帝国軍人の有り方をまとめ上げた道徳訓示であったのです。「破戒」で有名な島崎藤村が中心になって作ったと言われています。そこには体裁とか、建前とかが表に出ていて、『生きたい!』と言う他の国の人々の人間本来の切なる願いを認めていないのです。生命軽視が溢れていますから、他者の命の重さを認めることが出来ないので、平気で人を殺してしまうことができたわけです。

 人の生き方に大きな影響を与えるものの1つは、「ことば」です。人は「ことば」に出会って発奮し、方向が与えられ、どう生きて行くべきかの導きを得ます。39歳の時に大きな手術をしました。『死ぬかもしれない!』と思った私は、妻と4人の子に宛てて、初めての遺書を記したのです。子どもたちに、『もしお父さんが亡くなったら・・』と言って、「三つ撚りの糸は簡単に切れない」と言う、親爺の日記帳からの引用の「ことば」を書き残しました。これは、毛利元就が三人の子に託した「三本の矢」のたとえ話が酷似しているのですが、『お父さんがいなくなっても、お母さんを助けて、4人で仲良く助け合って生きて行って欲しい!』と勧めたのです。彼らは、一本多いので、より協力の度合いが堅固になるのですが、長男が小学校6年生、一番下の次男が3歳だったのです。

 ところが、死ぬこともなく、生き延びて、一人一人が自立して行く様を見ることの出来た今、もう遺書を残す必要も無いと思いますが、この「ブログ」で、『みんなの父親は、どんな考えや生き方をして来て、どこに向かって生き、ゴールをどこに定めているたのか?』を書き残したいのであります。彼らも、それぞれに「ことば」と出会い、その「ことば」を語った人の思想と人格とに触れ、励まされ、または叱責されて生きて行くのでしょう。

 地味でいい、有名にならなくてもいい、審判の場に立つときに、『よくやった!』とほめられる生き方が出来るために、火で精錬され試された本物の「ことば」と出会って、その励ましで生きて欲しいだけであります。

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。