パチンコ
25になる前まで、私はパチンコ屋によく出入りしました。あの玉が、釘とガラスとに触れながら落ちてくる音と、玉の出てくる金属音とに誘われたからです。田舎町の駅前にたった一軒のパチンコ屋があって、そこに出入りしては、落ちていた玉を拾ってやったのが始まりでした。小学生でした。
その時以来、必ず、どこの店でも店内に流れていたのが、「軍艦マーチ」でした。あのリズムが、台の右下の穴の中に、左手の親指で玉を入れ、打って行くタイミングと共鳴し、共動していたのです。若かった私は、あのマーチを耳にして、愛国心が煽られているような錯覚に陥ったこともありました。
もともと愛国少年の志に燃えていましたから、鉄砲を担いで出て行きたい気持ちにさせられてしまったのです。『行け行けドンドン!』のテンポでした。憲法に保障された平和な日本の巷間で、そんな気持ちにされたのですが、今日日は、改正されて行く「教育基本法」や「憲法改正論議」の中で、『行け行けドンドン!』の扇動的な動きが感じられてならないのです。もちろん「軍艦マーチ」は聞こえませんが、もうすぐすると、パチンコ屋からではなく、どこかなお街角から、大音響で聞こえてきたら聞こえてくるかも知れません。
私たちの祖父や父の世代に、多くの青年たちが、鼓舞され、「愛国心」を作為的に注ぎ込まれて、戦場に駆り立てられたことを、歴史から知らされるのですが。
その「愛国心」に訴えた国造りは危険です。もし正しい歴史観、正直に歴史の中にあった事実を認めて、そこにあった多くの過誤を認め、国として個人として心から反省した上に立つのでなければ、私たち日本人は、声高に『愛国心を!』と叫んではいけない民族なのではないでしょうか。『二度と誤らない様に!』と願って、平和憲法を、「天」から頂いたのですから。
日の丸を振って、街角で千人針を、戦勝を祈願して、子や夫や父を戦地に見送った国民が、どんなに悲しい思いをしたかを知らない人たちが、今日日、愛国心を煽り立てているのです。生まれた国を愛する青年は、侵略した国の中にもいたのです。独りよがりの「愛国心」は、間違っています。愛国心と愛国心は、戦うのではなく、友好と協力で支え合い刺激し合って、それぞれの国の先祖伝来の風土と文化と歴史と習慣を尊び、それらの中に生きている父母や兄弟姉妹や親族や友人が、平和で安寧を保障されて生きて行くことが出来るように努めることこそが、国造りであり、交際協調に違いありません。
ところで、今でもパチンコ屋では「軍艦マーチ」が流れているのでしょうか?
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