男っぽさ
中学に入りたての頃、『男は、髭剃り後の青い頬がいいんだ!』と,ホームルームの時間に、《男っぽさ》について、担任のK先生が話されたことがありました。その言葉に触発されて、『どうしたらヒゲが濃くなるか?』について調べてみますと、《ヒゲ剃りの励行》だと言うことが分かったのです。早速、ヒゲを剃り始めたのが中1の時でした。毎晩、風呂に入った時に、父の安全かみそりを、そっと拝借しては剃ってみたのです。髭とは言っても、まだ産毛でしたが、毎日毎日、髭剃りを繰り返していました。『何時か、親爺のように、K先生のように!』と願いつつでした。ところが、父に似ないで、母似の私は、体質的に体毛が濃くないわけです。沖縄とかアイヌの方々は、体毛が濃いのです。ハワイに移民をされた沖縄出身の方を知っていますが、夏でも長袖を着るほどに体毛が濃いのです。それにひきかえ、『自分の薄さは何だろう?』と思ってしまうのです。多分、母の出身が山陰ですから、私も大陸から渡ってきた朝鮮民族の末裔に違いありません。彼らはさほど濃くないと聞いていますので。今日まで何回剃ったことでしょうか。いまだに、担任の言われた、《髭剃りあとの青い男っぽさ》には程遠いのであります。ついでに、胸毛も欲しくて、かみそりで何度も剃ってみたのですが、これまた、なんら効果のないままで過ぎてしまいました。
それでも青年期になりますと、人並みにヒゲが生えてきたのです。『雅仁、お前が髭を生やしたら、俺の親爺にそっくりだろうな!』と、自分の父親を思い出しながらでしょうか、父がそう言っていました。61才の誕生日を迎えたばかりで父が召されたのですが、それから何年もしてから、父の言葉を思い出して、『ヒゲを生やしてみよう!』と思ったのです。父に見てもらって、喜ばせることは出来ませんでしたが、自分の顔を鏡に映して見て、『これが祖父の顔かたちなのか!』と感心して見入ったものです。祖父に抱いてもらうことは、一度もありませんでしたが、父をひざの間に入れて腰掛けている祖父の写真は、父のアルバムに見たことがありました。痩せ型の細面の祖父に、本当にそっくりだったのです。自分では悦にいっていたのですが、周りの評判がよくなかったのでしょうか、間もなく剃り落としてしまいました。
ある時、アラブ系の一人のアメリカ人で、アフリカで事業を展開していた方に出会いました。元ボクサーで斜視でしたが、声が素晴らしい、実に魅力的な男性でした。彼に憧れていた私は、また彼に真似て髭を付けたのですが、彼の様にはならずじまいでした。結局、『アテンション・プリーズのパフォーマンスね!』と、髭嫌いの家内のことばに負けて、すぐに剃り落としてしまったのです。
先日、友人宅でお会いした中華系アメリカ人のご夫人に、『ありがとう!』と、家内が言いましたら、"Don’t touch masutache "と、ことばが返って来ました。なんと、日本語の『どういたしまして!』の駄洒落でした!それを聞いていた私は、彼女の顔を、「しげしげ」と見てしまいました。どうも日本人との交わりが彼女にあるようで、そのユーモアを楽しませてもらったのです。
K先生が言われた《男っぽさ》とは何だったのでしょうか。東大出の秀才で、すこしも威張った風に見せなかった方でした。私の憧れた鶴田浩治や高倉健やジョン・ウエインのような男性くささはなかったのですが、『いつか、K先生のような教師に、しかも社会科の教師になってみたい!』と思わせたほどの方でした。ですから外見上のことよりも、内面の建て上げについて多く話されたのですが、聞いた中一の私にとっては、「頬の青さ」は大きな挑戦であったわけです。そんな日々が、まるで昨日のことのように思い出されてきます。やっぱり、しみじみとした台風一過の秋の昼過ぎであります。
(写真は、在学当時の母校の玄関(左脇に二宮金次郎の銅像がありました)、現在の正門です)