2008年9月11日木曜日

海外雄飛


 「海外雄飛」は、現実逃避なのでしょうか、それとも、島国の小国に育った日本人が、根っからに持っている「夢」なのでしょうか。それとも我侭な自分の責任逃れで、外の世界に憧れたのかも知れません。この夢は結婚しても、子どもが与えられても、私の内では消えなかったのです。十七で、南半球のアルゼンチンへの移民を考えたことのある私は、あるとき、上智大学で社会人のための継続学習の夜間講座が開講されているの聞きました。その1つに、「インドネシア語講座」があって、早速、受講願いを提出したのです。かつて日本軍が石油やゴムなどの資源を求めて進出した過去のある国でした。謝罪の意味もあっ、私は貢献したかったので、学び始めたのです。でも、ジャカルタへの門は開きませんでした。それからしばらく経ってから、『アフリカで一緒に働かないか!』との誘いもありました。これも、アメリカ人実業家から引き継いだ責任ある仕事についていましたので、叶わずじまいでした。そのように外に目を向けながら生活しているうちに、一昨年、中国の天津への門が開かれたのです。昨年春、学校の休みに、旅行で訪ねた福州の友人が、『こちらにに来ませんか!』との誘いに応えて、昨年八月、勇躍やって来たのです。

 福建師範大学の海外教育学院で、中国語を学び始めましたら、この省から海外雄飛で出かけた華僑や華人の子弟でしょうか、インドネシアからやって来られた留学生が20人近くいたのです。今年は、40人もの方々が来られたと聞きました。父や祖父のお国言葉を学んでいる彼女たちですが、家では文字は覚えないで、福建省の方言を使うのだそうです。そんな背景の彼らの標準語学習の理解の早さに、まったく違う言語を学ぶ私たちとの間には大きな開きがある理由が分からされた次第です。同じ宿舎には、インドネシア政府の高官に派遣された若い女性がいました。今は北京に行かれていますが、なかなか賢い方で、私の長女と同い年で、とても親切にしてもらいました。



 ここ福建省の沿岸部は、「華僑のふるさと」と言われています。隣町の福清市や、闽江(ミン・ジアング)の下流の町の楽市などからは、多くの人々が、一人で家族で、世界に向かって出かけて行った町なのだそうす。600年ほど前になりますが、「郑和(チェング・フウ/13711433 )」と言う、雲南省出身の航海家がいて、南京から就航した彼のは、 ここ闽江の河口付近の町に寄港して、インド、アラビヤ半島、アフリカ、さらにはアメリカ大陸などに出かけています。コロンブスよりも早く、郑和は、アメリカ大陸を発見していると、最近の研究成果が伝えているようです。春先に闽江の流れの脇に、彼の記念館や記念像があって見学したのですが、遥か彼方に目を向けている彼の眼差しが印象的でした。その影響でしょうか、海沿い、川沿いに生まれて育った青年たちもまた、新天地を求めて外雄飛に活路を見付け出そうとしたのでしょうか。

 六年ほど前になりますが、『中国人が一番住みたい町!』シンガポールに、長女を尋ねたたことがあります。そこに華僑たちが住んだ地域が残されてあって、記念館を見学をしました。今のようにアジアで誇り高い豊かで綺麗な街でなかった、100年も200年も前の生活ぶりを伺い知ることが出来たのです。初期移住者の苦労は、大変だったようです。イギリス統治の時代、日本統治の時代を過ぎて、独立を勝ち取ったこの街は、中華民族の国家ですから、福建省人にとっての憧れも一入なのでしょうか。この華僑や華人たちは、勤勉に働き、世界中の大都市に、「中華街(チャイナ・タウン)」を形成していったのです。そういった彼らの故郷にある、21世紀の子孫たちもまた、アメリカや日本への留学を切望しているのです。とても外国語学習熱が高まっているのではないでしょうか。



 さて、インドネシア人のことですが、彼らの目に、日本人が戦争に敗れた後に、「卑屈」になってしまっているのを見て、『そうではない!』と言っているのだそうです。日本人がやって来るまでのこの国は、オランダの支配下にあって、実に惨めなを送っていたのだそうです。有色人種のアジア人を、彼らは、まるで奴隷ような扱いをしていました。ところが、『日本人は、白人の国家に向かって銃を取って立ち上がって、アジア人の意気を示してくれた!』と、彼らは高く評価するのです。『日本が起たなかったら、欧米諸国から決して独立することは出来なかっただろう!』と言い、『独立への願いを喚起させてくれた日本と日本人!』と言うのが、彼らが見る日本人なのだそうです。虐げられた被征服民に甘んじなければならなかった彼らには、曙のような輝きが、私たち日本人にはあったことになります。それなのに、虚脱感に圧倒されてしまった私たちは、卑屈になって、自信を失ってしまったのです。いったい、どうしたことなのでしょうか。

 インドネシア人に、そのように高く評価されるのですから、その評価に立って、自身を取り戻したいものです。高慢も傲慢もいけません。同じように卑屈も自信喪失も、同じようにいけないのです。高慢でない「誇り」、卑屈でない「謙遜」を身に着けて、二十一世紀の日本の青年には、世界に向かって雄飛していただきたいのです。金儲けではなく、友好と貢献のためにです。 

(写真は、長楽付近の闽江、中は、闽江河畔の「郑和」の像、下は、インドネシアの海http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/lrg/10/01/87/lrg_10018726.jpgです)

    

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。