2008年9月25日木曜日

父帰る


 菊池寛が、「父帰る」という小説(脚本)を書いています。明治40年頃の家庭を舞台にしていますから、私の父の生まれる3年ほど前のことになります。家出した父親の二十年ぶりの帰還、それがもたらす家庭内騒動といった筋書きです。私は、何度か家出をして野宿をしたことがあります。旧国鉄の引込み線に停車している貨物列車の車掌室にもぐりこんだり、大きな木の下に藁で寝場所を作って寝たり、防空壕の中で過ごしたこともあります。意地を張ったのでしょうか、子どもなりに家に帰れない事情があったからです。でも連泊することはなく、翌日には、「子帰る」で父の赦しを受けて家に戻りました。ところで、私の父が家出をしたことなど、一度もありませんでした。がんばって育て上げてくれたのです。

 新宿、神田、浅草橋に会社を持っていた父は、夕方になると、手に何か土産をつるして帰って来ることがたびたびでした。私たち四人兄弟にとっての「父帰る」は、美味しいソフトクリーム、ケーキ、カツサンド、あんみつと切り離せない、夕方の味覚であり、楽しみでした。怖かった父なのですが、子どもを喜ばすのが上手な父でもあったのです。家の前の、旧甲州街道の路上で、キャッチボールをしてると、『雅、グローブを貸せ!』と言って、兄たちと遊んでいると一緒にしてくれました。お湯が綺麗で、量の豊富な隣町の銭湯が好きで、一駅電車に乗っては、連れて行かれたこともあります。今日日の週末や春や夏や正月の休みなどに遠出をするような習慣の無い頃にも、渋谷や新宿に連れ出してくれたこともありました。この父は「本物好み」の人でした。『雅、柳川を食べに行こう!』と何度か誘ってくれたことがあります。浅草・駒形の老舗の「泥鰌屋(どじょう)」で、本物を食べる誘いでした。何度も約束してくれたのです。ところが私たちが結婚した翌月、61の誕生日を迎えてすぐに召されてしまいましたから、残念なことに、その約束は反故にされてしまいました。


 

 母と出会った山陰の松江や出雲で、父は青年期の一時期を過ごし、そこで結婚しています。上の兄二人は出雲で生まれているのです。母に連れられて訪ねたことと、学生のときの旅行と、仕事で鳥取に行ったときに足を伸ばしたことがありました。父や母だけにではなく、我ら四人の男の子たちにとっても、山陰の地は格別な土地に違いありません。毎年五月には、出雲の母の実家から、決まって「ちまき」が送られてきたからです。また、なぜか我が家の本籍は、ここに置かれてあったのです。この地方に、「安来節」と言う民謡があります。若くてヤンチャな父の十八番が「安来節」で、お囃子を奏でながら、「どぜう踊り」を踊ったのだそうです。見る機会はありませんでしたが。よくザルを手にしては、「どぜう獲り」にも出かけたそうです。都会育ちの父にとっては、山陰の片田舎ののんびりとした時の流れは、心の傷を癒し、和ませてくれたのでしょうか。



 Jr浅草橋駅から、そう遠くない隅田川の近くに、老舗の「どじょう料理屋」があったようです。今もあるでしょうか。獲るだけではなく、食べるのも好きだった父にとっては、足繁く通った店だったのでしょう。結婚した息子が船橋に住み始めましたから、御茶ノ水で乗り換えて総武線に乗り込みますと、『あさくさばし、浅草橋、次は・・・』と車内案内が流されています。それを聞くたびに、その父の約束が思い出させられるのです。そろりと降りて、駒形あたりを散策したい誘惑に駆られるのですが、まだ実現しておりません。今度帰国する機会があったら、駒形に足を伸ばして、隅田の川風に当たりながら、「どぜう屋」に入ってみたいものです。柳川」、これもまた父からの1つの宿題なのかも知れません。



 私の父は、決して模範的な父親ではなかったのですが、私にとっては、たった一人の父なのですから、良いも悪いも丸抱えで、「敬愛する父」であります。一言で言えば、涙もろくって、単純で、短気で、一晩寝てしまうと、翌朝からは新しくやり直せる人だったでしょうか。テレビを観てて、よく涙をぬぐっているのを目撃したことがあります。横になって、幼い日に歌った歌を思い出だしながら口ずさんでいました。巨人軍大好きのスポーツマンでした。父が天上の故郷に帰って、もう四十年近くになりました。二度と帰らない父なのですが、父の召された年齢を越えてみて、『もう少し長生きをして、子供や孫を見て欲しかった!』と思ってしまうのです。「父越える」と言うのは不思議な感覚がするものです・・・・なんだか父が弟のようにも感じてしまうからなのですが。人生短し、秋の風ですね!

(写真は、「山梨県清里の清泉寮のソフトクリーム(http://photozou.jp/photo/show/157896/11847919)」、「出雲平野を流れて宍道湖に流れ込む斐伊川」、「隅田川の2005年夏の花火「(http://sozai-free.com/sozai/00881.html)」「はるかに見える駒形橋(安部照雄氏撮影)」です)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。