2008年9月28日日曜日

美味しかった天丼を孫たちにも!


 「ヴェニスの商人」、「難波商人」、「甲州商人」、「近江商人」と言う言い方があります。物を仕入れて、それを必要とする人に売って生計を立てる人を「商人」と言います。商いの世界で、模範的な商業倫理を持っていたとして、高く評価されていて、映画にもなっているのが、行商で名を馳せた「近江商人」でしょうか。


 商才のない私でしたが、30年ほど前になるでしょうか、4~5日の会期で行われた大会に参加した時、受付の横で、小さな店を開いたことがありました。『参加者の便宜を図っていかがですか!』と、頼まれたのです。知り合いから果物や菓子や雑貨用品を仕入れて売りましたら、結構な収益を上げることが出来たのです。その収益金は、大会の運営費に寄付したのですが、『商売って、上手くやると驚くほどの収益を上げられるのだ!』と驚いたことがありました。『もしかしたら、商才があるのかも知れない!』と思わされたのです。よい場所に店を構え、人の必要を見抜いて商品を並べ、よいものを薄利で売るなら、きっと収益に欠けることはない、と言うことを学んだのですが、商人になろうと思ったことは一度もありませんでした。




 私の父の友人が、果物商されていて、同業者の組合長をされていました。戦争が終わって、着の身着のままで帰ってきた兵士たちに、リヤカーを轢いて、野菜や果物を売って歩くことで、生計を立てる道を勧めたのです。その開業資金を貸与して上げたそうです。朝早く市場で、持ち金で仕入れをし、轢き売りをして得た収益で、妻子を養い、子女に教育を受けさせるように自立を促したのです。小さく商いを始めて、店を構えた八百屋さんたちが、市場の中を歩いている父の友人に、深く頭を下げている光景を何度も見かけたことがありました。戦後の地方都市で、自分の儲けではなく、人の家庭や生活の建て上げのために尽力されたことは、新聞記事にこそなりませんでしたが、素晴らしいことだと思わされたです。この方が、『雅ちゃん、天丼でも食べようか!』と誘ってくれて、何度もご馳走になったことがありました。その柔和なおじさんの顔が、思い出されるのです。


 商売の順当な儲けと言うのは、2割か3割ほどが上限ではないでしょうか。5割や倍儲けは邪道なわけです。今日日、「近江商人」泣かせの米商人の不正がマスコミによって槍玉に挙げられています。事故米の不正流通が、病人食や学校給食にまで使われているのだそうです。彼らは、それを食べることはないのでしょう。自分の子どもや孫たちには、よそで買ってきた米を食べさせるに違いありません。他人の子ならよいのでしょうか。そういった商業倫理観が、いえ人間倫理観と言うべきでしょうか、これがまったく欠落してしまった現代社会を、憂うるのであります。ハムも牛乳も鰻も、もう何もかも「純正品」がなくなってしまったようです。本来なら、正直な人こそが、商人になるべきなのにです。順当で正当な儲けで生きていくのは当然だからです。「儲け」が先行してしまうと、商いが荒れてきます。心に不正が入り込んでくるからです。正直な商人が、ほとんどなのですが、わずかな「悪徳商人」の商売に、飽きないでいたいものです。




 今日日、何を食べたらいいのでしょうか。食料自給率の低いわが国で、成長盛りの孫に何を食べさせて上げられるのでしょうか。ユダヤ民族に、「水の癒し」の故事が残されています。ある街に、なぜか流産が多発していました。その原因を探りますと、住むには素晴らしい環境だったのですが、水が悪かったのです。それで、一人の人が、「新しい皿に盛った塩」を用意するように語ります。彼はその塩を、水の源に投げ込むと、すぐに水が癒されてしまったのです。その後、その街には、まったく流産が起こらなくなったというのです。としますと、調理した食物に、「塩」を投げ込んで、毒を癒すしかないのかも知れませんね。そうしたら、毒を飲んでも害を受けないですむのではないでしょうか。塩を用いる前に、ただ私が願うのは、4人の孫たちの次世代のために、正直な商い道・商法が回復されて、「安全な食材」の流通を願ってやみません。何時か、あの美味しかった天丼を、孫兵衛たちに安心して食べさせて上げたいものです。


(写真は、「行商姿の近江商人(http://www.biwa.ne.jp/~tenbinst/shonin/index.html)、「八百屋の店頭(http://www.ashinari.com/2008/08/31-007341.php)、「多摩川の水源」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。