赤とんぼ
耳を澄ますと、もう秋の虫の音が聞こえてくるようになり、然(さ)しもの暑さも、『峠を越したかな?』と思うこのごろです。あの大歓声に湧いた北京オリンピック大会が終わってもなお、余韻のように同じ集合住宅の住民のみなさんの応援の『加油(ジィア・ヨウ)!』の声が、まだ耳の中に聞こえるようです。幾多の苦難の道を歩んでこられた中国のみなさんが、開国以来最大の国家的工程(プロジェクト)に思いを注がれたのです。国や国土や同朋を愛し、他国との関わりが深くされることを願って、この「奥運会(オリンピック大会)」の成功を祈って来られたわけです。出場した選手たちへの応援は、天を突くかのようでした。そのせいでしょうか、素晴らしい成績をあげ、大会自体が成功裡に収束したことを、隣国日本からやって来た私は、手放しでともに喜びたいのであります。『喜ぶ者とともに喜べ!』なのですから。
さあ、次代を担う青少年のみなさん。この大会の成功を1つの跳躍台にされて、明日の中国のために、そしてアジアのために、さらに世界のために貢献していかれますように願っています。大きく夢を膨らませて、自信をもって明日に向かって、その夢を解き放ち、高く羽ばたいて行かれるように、祈念してやみません。今、その熱気や余韻の残る会場では、「パラリンピック」が行われております。注目度は強くはありませんが、世界中から参加された選手たちの健康と健闘を祈ってやみません。大会の運営に当たられるみなさんの上にも、激励を送ります。
ボールを追いかけて走り、受けては投げてシュートしていた日々を思い返して、あの頃の青春の血の躍動がよみがえるかのようです。共に猛練習に励み、スタメンの背番号を競った仲間たちの数人が、すでに召されたことを聞くのですが、時の過ぎ行く早さには、改めて驚かされるのです。『少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず』とか、『いのち短し、恋せよ乙女・・』とか、『時間過了很快(時は素早く過ぎていく/中国語)』といった言葉が実感させられるのです。この「スポーツの秋」は、『する!』から『観る!』に代わってしまったようですが、まだまだ、ラケットを握ってバックハンドで打ち返してみたいと思わされてなりません。
宵闇が迫って、虫の音を耳にしますと、何となく物寂しく感じるのですが、秋は感傷の季節だけではありません。「収穫の季節」なのですから、私たちの精神生活にも、それなりの実りが多いものであるようにと願いたいものです。与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」に、『・・・友を選ばば書を読みて・・』とあったのを思い出しますが、秋の夜長は、読書が似合うようです。また、「短歌」でも詠みたい気分もいたします。友人がよく歌っていた「惜別の歌」は、『別かれといえば 昔より この人の世の 常なるを ・・・・』 、「初恋」は、『まだあげそめし 前髪の 林檎のもとに 見えしとき 前にさしたる 花櫛の 花ある君と 思いけり・・・』とあって、 七五調の詩なのです。歯切れがよくて、覚えやすく、メロディーにのりやすいので、何十年も前の歌が口から突いて出てしまいます。
でも何といっても、「赤とんぼ」が一番懐かしいのですが、みなさんの「思い出の歌」は何でしょうか。三木露風は、『夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われてみたのは いつの日か 十五で姉やは・・・』と詠んでいます。赤とんぼの身になって、怖いお兄さんに「追われて見た」とばかり思っていたのですが、実は、お姉さんに「負われて見た」んですね。私には、おんぶしてくれた姉はいませんでしたが、ちょっかいを出して、その仕返しに叩かれたり蹴られた兄がいました。その兄とは、一緒にアケビをとったり川遊びをしたりもしました。夜の帳が下りる頃まで遊んでいたあの頃を、思い出させる極めつけの懐かしい秋の歌は、やはり「赤とんぼ」でしょうか。
声援や歓声のやんだ今、福州の町にも、赤とんぼが、そろそろ飛び始めるのでしょうか。きっと、それを見付けたら、『夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われてみたのは いつの日か 十五で姉やは・・・』と歌いだすことでしょう。
(写真は、フォト・ライブラリーhttp://www.photolibrary.jp/service/calc_size.cgi?id=527&size=2、絵は、http://momo-mid.com/mu_title/i_akatonbo.htmの「挿絵」です)
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