2008年9月29日月曜日

男っぽさ


 中学に入りたての頃、『男は、髭剃り後の青い頬がいいんだ!』と,ホームルームの時間に、《男っぽさ》について、担任のK先生が話されたことがありました。その言葉に触発されて、『どうしたらヒゲが濃くなるか?』について調べてみますと、《ヒゲ剃りの励行》だと言うことが分かったのです。早速、ヒゲを剃り始めたのが中1の時でした。毎晩、風呂に入った時に、父の安全かみそりを、そっと拝借しては剃ってみたのです。髭とは言っても、まだ産毛でしたが、毎日毎日、髭剃りを繰り返していました。『何時か、親爺のように、K先生のように!』と願いつつでした。ところが、父に似ないで、母似の私は、体質的に体毛が濃くないわけです。沖縄とかアイヌの方々は、体毛が濃いのです。ハワイに移民をされた沖縄出身の方を知っていますが、夏でも長袖を着るほどに体毛が濃いのです。それにひきかえ、『自分の薄さは何だろう?』と思ってしまうのです。多分、母の出身が山陰ですから、私も大陸から渡ってきた朝鮮民族の末裔に違いありません。彼らはさほど濃くないと聞いていますので。今日まで何回剃ったことでしょうか。いまだに、担任の言われた、《髭剃りあとの青い男っぽさ》には程遠いのであります。ついでに胸毛も欲しくて、かみそりで何度も剃ってみたのですが、これまた、なんら効果のないままで過ぎてしまいました。

 それでも青年期になりますと、人並みにヒゲが生えてきたのです。雅仁お前が髭を生やしたら、俺の親爺にそっくりだろうな!』と、自分の父親を思い出しながらでしょうか、父がそう言っていました。61才の誕生日を迎えたばかりで父が召されたのですが、それから何年もしてから、父の言葉を思い出して、『ヒゲを生やしてみよう!』と思ったのです。に見てもらって、喜ばせることは出来ませんでしたが、自分の顔を鏡に映して見て、『これが祖父の顔かたちなのか!』と感心して見入ったものです。祖父に抱いてもらうことは、一度もありませんでしたが、父をひざの間に入れて腰掛けている祖父の写真は、父のアルバムに見たことがありました。痩せ型の細面の祖父に、本当にそっくりだったのです。自分では悦にいっていたのですが、周りの評判がよくなかったのでしょうか、間もなく剃り落としてしまいました。


 

 ある時、アラブ系の一人のアメリカ人でアフリカで事業を展開していた方に出会いました。元ボクサーで斜視でしたが、声が素晴らしい、実に魅力的な男性でした。彼に憧れていた私は、また彼に真似て髭を付けたのですが、彼の様にはならずじまいでした。結局、『アテンション・プリーズのパフォーマンス!』と、髭嫌いの家内のことばに負けて、すぐに剃り落としてしまったのです

 先日、友人宅でお会いした中華系アメリカ人のご夫人に、『ありがとう!』と、家内が言いましたら、"Dont touch masutache "と、ことばが返って来ました。なんと、日本語の『どういたしまして!』の駄洒落でした!それを聞いていた私は、彼女の顔を、「しげしげ」と見てしまいました。どうも日本人との交わりが彼女にあるようで、そのユーモアを楽しませてもらったのです。

 K先生が言われた《男っぽさ》とは何だったのでしょうか。東大出の秀才で、すこしも威張った風に見せなかった方でした。私の憧れた鶴田浩治や高倉健やジョン・ウエインのような男性くささはなかったのですが、『いつか、K先生のような教師に、しかも社会科の教師になってみたい!』と思わせたほどの方でした。ですから外見上のことよりも、内面の建て上げについて多く話されたのですが、聞いた中一の私にとっては、「頬の青さ」は大きな挑戦であったわけです。そんな日々が、まるで昨日のことのように思い出されてきます。やっぱり、しみじみとした台風一過の秋の昼過ぎであります。

 

(写真は、在学当時の母校の玄関(左脇に二宮金次郎の銅像がありました)、現在の正門です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。