2008年10月19日日曜日

紙一重の違いの彼と俺


 この一週間、PCが使えなく、コピー屋さんのを借りて見た時、1つのニュースが目に飛び込んできました。グアムからロスアンゼルスに移送された三浦和義氏が、収監先の自室で、自殺をして果てたと言うのです。この知らせを聞いて、何とも表現できないような複雑な気持ちを感じているのが、今の正直な私なのです。まるで、自分の分身が、自死してしまったかのように感じられたからです。もちろん彼とは血筋のつながりのまったくない赤の他人ですし、以前、親交があったと言うのでもありません。ただ、ほぼ同世代で、戦争後の混沌とした中に、少年時代を過ごし、同じ時代の風を受けながら、それぞれに駆け抜けた者同士のわけです。彼は少年期に、放火を犯して少年院に入り、退院後も、さまざまな犯罪に関与して、警察にマークされながら、ここまで生きて来たのです。、万引きや盗みを繰り返して、同じ犯罪性を帯びながらも、一度も警察の厄介にならないで済ませてきてしまった私と、彼との違いは何だったのだろうかと思ってしまうのです。要領が悪く、上手に泳ぐことの出来なかった彼と、したたかにずるく過ごしてきた自分との差しか考えられないのです。芸能界で有名な女優の私生児して生まれたと言われていますが、真偽のほどは分かりません。そういった特異な環境の中で、家庭に恵まれない中を育ったのかも知れません。これも私には分かりません。ただ少年院に入りますと、そこで二度と捕まらない悪知恵や、犯罪学の教習を受けて出所して、また犯罪に手を染めると言うパターンを繰り返したようです。


 

 自分は、学校に上げてもらい、それなりの社会的な立場も得ることができ、教壇から人を教えるような仕事にもつかせていただきました。立ち回りが上手で、人の好意を得られて生きてくることができたのですが、三浦氏と自分との違いは、本当に「紙一重」としか感じられないのです。こそ泥などの軽犯罪から強悪犯になって行くといったレールの上から、私は外れることができ、彼は、乗ったままで生きて来たのかも知れません。思ったり考えたりしたことはあるのですが、実行犯として犯罪を犯して捕まると言うことなく、私は生きて来たことになりますが、罪性の根は、三浦氏のものと寸分なりとも違わないのです。彼は、『お前はずるい奴だ、要領よく生きやがって!』と、私に振り向いて言える一人に違いありません。ただ25の時に、黄河の大濁流が押し迫るように、不思議な力が責め寄せて来て、自分の罪を、涙を流し泣いて激しく悔いたことがありました。そして、その後、いくばくかの謝罪も行って来たのです。彼とて、六十代に至って、過去の罪を認めて、しっかりと謝罪する機会が残されていたのではないか、自死なんかしないで犯した罪の真偽を示し、もし有罪ならば清算することもできたと思ってならないのです。



 どういったらいいのでしょうか、空虚なのです。彼の気持ちが、なんとなく分かるように感じるのです。数年前に、三浦氏が本を万引きして逮捕されたことがありました。これだって、あのスリリングな盗みの感触、何となく手が出てしまって、気がつくと盗んでしまっていると言うような感覚が、自分のうちにも潜んでいるように感じてならないのです。彼は犯し、私は犯さないで手を引っ込めることが出来るに過ぎないのではないか。決して、彼に共感したり、彼の犯罪性に『仕方がない!』と同情しようとしているのではないのですが。彼がロスアンゼルスで死んだのに、私は中国の福州に生きている、何かやるせないと言うのでしょうか、じっとしていられないような思いにされているのです。彼の表情を、テレビの中に、写真の中に何度も見て、芸能人のような素振りの中に、強がりを見せていたのですが、彼が心のうちで感じていることが、何となく分かってしまうのです。

 そんな背中合わせに生きて来たように感じられる彼の訃報に接して、この気持ちをどう言い表したらいいのでしょうか。ただ、彼と違った生き方が出来たのは、こんな私を諦めないで、『可愛い!』と思ってくれて、忍耐深く祈り心をもって育ててくれた両親によることを思わされるのであります。ただ心からの感謝を覚えるのみです。とくに、今なお手紙で激励してくれる老いた母への感謝は尽きません(10月17日記)。

(写真は、少年期を過ごした昭和30年代の、人気テレビ番組「月光仮面(http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/92/0000032292/49/img8a4761d7zik5zj.jpeg)」、「ちゃぶ台(http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/14/0000436914/90/imga9e8d030zik1zj.jpeg)」、「お茶の間風景」)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。