2008年10月19日日曜日

東京山


 『あなたの趣味は?』と聞かれると、きまって答えるのが、『スポーツ、学校ではバスケットとハンドをしていました。中年過ぎからはテニスを始めたのです。見るのもするのも好きなんです!』と答えるのです。実は、その他に、《隠れ趣味》があるのです。《地図を見ること》、それで先日も、大きく開いて、福州市の近郊を眺めていました。そうしましたら、なんと《東京山》と言う山を見つけたのです。2年ほど前になりますが、天津にいますときに、壁にはってある中国全土の地図を眺めていましたら、四川省の南東部、西蔵(チベット)と雲南の三つの省境に近いところに、「稲城」と言う街を見つけたことがありました。結婚するまで住んでいた東京郊外にある、多摩川河畔の街と同じ名だったのです。同じ漢字文化の両国の間には、氏名から物や町の名前にも、共通のものが数多くあるわけです。



 

 何となく親密さを感じた私は、隣町の福清市の南部の農村に位置する、海抜385mのその山に、『ぜひ登ってみたい!』と思ったわけです。そんな願いを知人にもらしましたら、この方が、この村の隣村の出身だったのです。それで彼女が、『一緒に行きませんか?』と誘ってくださったので、国慶節の一週間の休みを利用して、二泊三日の旅を計画したのです。家~師範大~白湖亭~福清~東汗~海亮村と乗り継いだバスの旅でした。福清市の最も南に位置するこの村は、東シナ海に面した海辺の町でした。小さな港に連れて行ってもらって、夕陽の中に海を眺めることが出来ました。帰る頃、夕空には三日月が出ていて、秋の風情を深く感じさせてもらいました。


 

 この村は、『一家に一人は海外に出かけているのです。南アフリカ、オーストラリア、アメリカ、日本などへです!』と言っておられました。その出稼ぎで得た収入を送金してでしょうか、3~5階建ての石造りの邸宅が、そこかしこに建っているのです。十年も帰って来られない方がいるそうで、大きな家には老夫婦が、また奥さんだけが残されてわびしく住んでいる家も少なくないそうです。小高い石山の麓に、サツマイモ畑があり、畑を牛が耕す農耕地の間に、そういった堅牢で色とりどりの外壁を持った「豪邸」が見られるのには、驚かされたのです。日本では、世田谷や兵庫の芦屋でさえも、見られないようなお屋敷でした。




 知人の友人が私たちを歓迎してくださって、二晩、泊めて下さいました。長男は、日本の大学を終えて、東京でコンピューターの会社に勤め、流山のマンションに住んでおられるそうです。次男は、広西自治区の大きな街の会社に就職をされていて、結婚したてのお嫁さんは、義父母の近くの幼稚園の先生をされているとのことでした。二人の息子さんには、それぞれの部屋があり、お孫さんの写真も飾ってあるのですが、部屋はがらんとしてさびしく感じられたのです。12~3も部屋があり、各階には浴室があるのですから、五所帯がゆうに住むことの出来るほどの広さの家でした。結婚以来、借家で過ごしてきている私たちにとっては、羨ましい限りですが、我が四人は、それぞれに自活していきましたから、この家の一階だけでも十二分すぎるのです。

 その東京山ですが、事情があって、外国人の登山は難しいようで、断念した次第です。この山を見て、東京を想像することは出来ませんでした。さて、やがて帰って行く世界には、お屋敷が待っているのでしょうか。屋敷でなくても、大きな都の門口にでもいいので、そこを終の棲家としたいものだと思わされた、今回の秋の旅でした。

(写真は、上は「長江の流域の地図」、その外は福清旅行の折のスナップ写真で、「野に咲いていた花」、「農村を往復するバスの中」、「泊めていただいた家からとった田園風景・・・畑を耕す牛と近代的な家屋」です)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。