2008年10月19日日曜日

代表的日本人


 もう20数年前になりますが、台湾を旅行したことがありました。首都・台北から、南端の高雄まで、いくつかの街に下車しながらの新幹線の旅でした。台南に行きましたときに、泊めていただいた家のご主人とゆっくりとお話しする機会がありました。この方は流暢な日本語を話されて、その会話も弾んだのです。この街に、数年前まで日系企業の駐在員で、新たに事業を展開するために一人の方が来ておられたのです。私の知っている方でした。私が訪問しましたときには、何年かの開拓事業の末に、会社をたたんで帰国してしまいました。この方を、私を迎えてくださったご主人が、よく知っておられたのです。事業行き詰ってしまったのだそうです。その理由をお聞きしましたら、『彼の日本精神が原因で、お得意様を失っていかれたようです!』と話されていました。どうもそれは、かつての日本統治の時代のように、台湾のみなさんに高圧的な態度で接せられたのがいけなかったようです。旧軍隊の軍人のような権威を振るおうとされたのでしょうか、みんながそうだったのではないのですが。


 

 その反面、台湾のみなさんは、旧日本統治時代を懐かしく覚えておられる方が多くいらっしゃるのです。どの街にも駐在さん(派出所の巡査)がいて、治安が保たれていたようで、『玄関を空けたままで外出しても物がなくなるようなことはまったくなかったのです!』と何人のもの方が言っておられたのをお聞きしました。大陸や朝鮮半島では、憎まれた日本人でしたが、台湾は知日派のみなさんが多のを知って、新しい発見をしたようでした。



 戦前、その台湾に巨大な「鳥山頭ダム」を建設した、八田與一(よいち)氏がおられました。台湾では、きわめて高く評価されている「代表的日本人」でいらっしゃるのです。心無い日本人の行状が非難されて、今でも日本人の中国での評価は芳しくないのですが、『昔の日本人は素晴らしかった!』との評価を受けているのが、この八田氏なのです。1886年、石川県金沢市に生まれて、東京大学を卒業されて、台湾総督府土木課に配属されたのです。その在任中に、台南市近郊に灌漑用の水利ダムを建造が計画されたのですが、彼は職を辞して、建設組合の一技師として、大正9年(1920)から昭和5年(1930)まで、完成に至るまで工事を指揮したのです。 現在でも、このダムは稼動しており、台湾では、この八田さんを、技術的な評価と共に、一人の人として、その人柄の優れた点で、「日本精神を代表する人物」とされているのです。どういう点で、そのような評価を受けられたのかと言いますと、

   1、嘘をつかない、
   2、不正をしない、

   3、全力を尽くす、
   4、失敗を他人のせいにしない、



と言う、四つの点で、八田さんは、「真正の日本人」なのだそうです。中国(台湾)のみなさんが、いまだに、そう評価されるのです。それこそ、本当に基本的な人間の生き方なのでしょうけど、それを現に活きて見せて、人々の記憶に留めたと言うことに、素晴らしい人間的な輝きがあります。こういった日本人のうちに培われた「徳」は、どこにいってしまったのでしょうか。今日日では「反・日本精神」が蔓延してしまっているのではないでしょうか。本物の「日本精神」は、人に危害を与えません。人を軽蔑しません。人の心を和ませ、平和を喜びます。感謝にあふれて、祝福の基となります。ですから次の次代を担い行く子どもたちには、ぜひとも「真正の日本精神」を心に宿していただいて、不正を憎んで義を愛し、正直で、全力を尽くして隣人に仕え、他人の徳を高める人に育っていただきたいものです。私も、中国のみなさんの間で、八田與一氏のような心持ちで生きて行きたいと願うものです。

(写真は、八田與一氏と「鳥山頭ダム」です)

  

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。