2008年10月26日日曜日

煉瓦造りの洋館と金木犀


 もう二週間ほど前かになるでしょうか、どこからともなく「金木犀」の花の甘い香りが漂ってきていました。深まり行こうとする秋を告げてくれた懐かしい香りなのです。『どこからだろう?』と思っていましたら、裏庭への出口の角に、花壇の中に一本の木があって、それに花が咲き始めているのを、家内が見つけたのです。手折った花を、コップに挿して、食卓の上に置いてくれましたから、部屋の中も秋になりました。それで、『秋はいいな、美味しくて、お米は実るし、果物も・・・』と言う歌を思い出して、つい口ずさんでしまいました。柿、葡萄、梨、林檎、無花果、みかん、それに南方の果物が、近くのスーパーマーケットの果物売り場に、いっぱい並んできています。

 この福州の街は亜熱帯にありますから、日中は汗を流すほどの暑さですが、それでも着実に秋がやってきているのを感じさせられております。闽江(ミン・ジアング)の流れの川岸の高台に、引越し先のアパートがあるのですが、このめぐりにある常緑樹の木の葉も、心なしか薄くなって、日差しを路上に射し落とすようになってきています。この辺りを歩いて気付かされる一つのことは、かつていくつかの国の領事館や多くの学校があった学校区ですから、新しい十数階建てのアパート群の谷間に、いくつもの洋風の煉瓦造りの建物が残っているのです。かつてここに住んで、若者たちの教育に当たった先生たちの住居だったようです。きっと、その子女たちも、路上や広場や公園で遊んでいただろうと、想像させられております。この福州に参ります前に、一年過ごしました天津には、「租界」があり、私たちの住んでいた外国人アパートから程遠くないところにありました。「五大道」と呼ばれている地域ですが、その辺りのたたずまいに、この地域が、やはり雰囲気が似ているのです。もう60年近く、時が経ってしまったのですが、その生活の形跡をうかがい知ることが出き、想像力が大きくされております。そんな子どもたちも、もう六十代から七十代になっておられるのでしょうか。それぞれに帰国されて、一線を退かれて時間の出来た今、幼少年期を過ごした街角を思いだ出しておられるのではないかと思わされています。



 家の、すぐ隣が「幼稚園」なのです。先生について、言葉の勉強や歌を歌っている声が、よく聞こえてきます。保母をしていました家内は、『あ、日本の歌を歌っているわ。〇〇さんの作られた歌!』と言っております。家内の弁によりますと、心なしか、日本の子どもたちよりも、もっと声が大きく、元気なように感じられるのだそうです。次の次代を担っていく世代が、明るく元気に、夢を膨らませながら過ごしているのが伺えて、感謝な思いにされてもおります。



 そんな地域ですから、住宅としては、ことのほか立地条件がよいようです。それでも、日本のことを考えますと、国土は小さな国ではありますが、世界の中でも、水がきれいなこと、空気が澄んでいること、土地が肥沃だと言われています。最近、この福建省でも、日本の環境整備や環境整備を学ぼうとされているそうです。私たちの友人の親しい友人が、その研究実現プロジェクトのチームの一員に選ばれたと言っておられました。今日も、あるお店で買い物をしましたら、彼女のおじさんが日本で働いておられて、日本のことを、よく聞かれるようで、『日本の街はとてもきれいなんだそうですね!』と言っていました。30年ほど前に、欧米に倣おうとしていた日本のことを思い出して、東アジア圏のよき模範になっていることを誇らしく感じさせられたのです。

 中国のみなさんは、今日日、遜ってわが国に学ぼうとされ、さらに熱意を込めて一生懸命に働いておられますから、きっと日本に追いつき、追い越す日がやって来るのではないでしょうか。それに協力できるのは感謝なことです。どこからともなく「文明城市」の実現を期している槌音や意気が強く聞こえてきます。一年前に比べ、街が大きく変わり始めています。ここに住んでいたかたがたが、懐かしんで訪ねてきたら、大きく変わってきた中国に驚かれ、その狭間に残された家屋や学校を見ては懐かしまれることでしょうね。耳を澄ませますと、よい時代が来ようとしている靴音が聞こえてくるようです。


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。