2008年10月28日火曜日

もっと大らかに闊達に!


 国外に住む中国人を、「華僑」と「華人」と分けるのだそうです。「華僑」とは、中国籍を持たれる中国人のみなさんが、長期にわたって海外に居住する方のことを言い、おもに東南アジアに居住されておいでです。また、「華人」とは、居住される国の国籍を取得された中国人のみなさんのことを言います。これらの華僑と華人の故郷は、おもに沿海部の広東省や福建省なのだそうです。この13ヶ月あまりの間に、シンガポールや台湾やアメリカからおいでになられた方々にお会いする機会がありました。ご両親のご兄弟や自分のおじやおば、甥や姪にあたる親族を訪ねておいでになるケースが多いようです。年配者の場合ですと、こちらの学校を卒業されて海外に留学し、そこで結婚なさって、時々帰国されると言った事例もあるようです。田舎に行きますと、神社のようなつくりの建物があって、そこは一族の記録文書がしまってある「廟」なのです。海外に住む華僑や華人が、自分たちの家系を書き加えたり、確かめるためにも帰国をなさるようです。そういった「家系」を大切にされるのが、ここ中国のみなさんの大きな特徴なのでしょうか。父の苗字を、子が受け継ぎますから、『私の姓名は、〇〇省のどこどこに多く、そこから数百年前に移住して来たのです!』と、ご自分の出自をしっかりと理解されておられることには、驚かされてしまいます。

 とくに福建省の福清は、華僑や華人を多く送り出してきた地域と聞いております。国慶節の休みに、私たちが訪ねて、三日間を過ごさせていただいた、「海亮村」では、『一軒に一人は、外国に行っています!』と言われ、お会いした方々の子どもさん、お父さん、ご両親、おじさんおばさん、甥や姪が、『日本に行っているのです!』とおっしゃっていました。そういった意味でも日本と福建省とは緊密な関係にあることを知らされるのです。とくに沖縄との関係は、以前から経済や商業の面で、人の往来も多く頻繁だったようです。福建師範大学の旧キャンパスの裏に、「琉球墓地」がありまして、訪問時に帰らぬ人となって埋葬されたのでしょう。この悲しい歴史は、交流の長さを証明していることになります。


 

 そういえば、『日本語にソックリ似てる!』と、感じることがたびたびです。福清や南の泉州や厦门(アモイ)などの言葉には驚かれてしまいます。一、二、三、四までは「闽南话」にほとんど発音が同じです。人情も素振りも酷似しています。ただ大陸育ちの彼らは、せせこまとしている島国育ちのわれわれとは違って、心が広くて大らかですが。先週末、『私の祖父母は中国人なのです。私は奈良で育った三世で、中国語は話せなかったのですが、3年前にこちらにいる親族を訪ねて来て、中国語を勉強してきています!』、とおっしゃる方とお会いしました。『私の祖父母や父母は、昔の「特高」に酷い目に合わされたのです!』とも話されていたのが印象的でした。つい『申し訳ありませんでした!』とお侘びてしまいました。私と同じ年の生まれの男性で、せせこましくない大らかな方でした。



 アルゼンチンのブエノスアイレスに行きましたときに、そこで沖縄移民の二世や三世のみなさんとお会いし、歓迎してくださいました。沖縄のみなさんも、福建人に似て「進取の精神」に富んで、外の世界に勇躍出て行かれる民だったのです。移民されたほとんどの方が、下町でクリーニング店と花屋をされてきたのだそうです。どうしてかと言いますと、ほとんどがヨーロッパ移民の白人社会ですから、アジア系の彼らは優遇されない歴史があったからなのです。そんな社会でありながら、二世や三世の中には、お医者や弁護士や教授になっておいでの方もいらっしゃるとのことでした。勤勉さは、どこの、どのような社会の中でも評価は高いようですね。ですから日系人の結束も、中国人に負けないほど強固なものがあるように感じさせられたのです。

 これから、さらにグローバル化されていく中で、人の行き来はさらに頻繁になっていくのではないでしょうか。きっと孫たちの時代は、国境など無関係な人的、文化的、経済的な交流が、さらに拡大されていくに違いありません。そうしましたら、歴史家が言うように、『鎌倉時代の日本人は、もっと大らかで闊達だったのです!』と言うように、そんな八百年も前の時代の日本人に回帰できるでしょうか。ぜひ、そうなっていただきたい。日本と日本人が自信を回復し、誇りを内に秘めながら、「地球人」として「隣人愛」に生きて行ける、そんな次の世代の活躍が大いに楽しみですね!

(写真は、「アモイのバスターミナル」、「沖縄の海(旅スケ〉より)」、「ブエノスアイレスの街の中心にあるオベリスクwww2.gol.com/users/chrisl/travel/samerica1.htmです)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。