2008年9月21日日曜日

息子の激励


 机の前の壁に、「中華人民共和国全図」が貼ってあります。東の端に日本列島を見つけることが出来ますが、この近さゆえに、古来、人や文化の交流がなされてきたことが、当然のように納得させられるのです。間には、朝鮮半島があり、台湾もあります。南には東南アジア諸国があります。さらに福州市を含んだ近辺の地図も机上にあります。「永泰県」が市の西部に位置しているのですが、そこに「温泉」があることが記されてあります。「公交車」と呼ばれる公共バスで、市内の「西站(xi zhan 西バス・ターミナル)」から1時間ほどのところにあります。見るにつけ、温泉で弱ったからだと痛んだ心とを、幾度となく回復された私は、『う~ん、行ってみたいな!』と願わされてならないのです。



 この5月に、「鼓膜再生手術」で帰国し、初診と手術まで三週間ほどの待機期間がありました。この時、次男が、『親爺をはげまそう!』と思って、大きな温浴施設に招待してくれたのです。『お湯につかる!』と言うのが入浴なのですが、普段、シャワーしか使えない環境にありましたから、思いっきり手足も心も伸ばすことが出来るのは、なんともいえない快適な経験、開放感を味わえて、『これぞ日本!』と感じさせられた次第です。岩盤浴、サウナ、ジェット水流、薬湯、香湯と、さまざまな工夫がされている施設に、かわるがわる入るのですが、どこに身をまかすか迷うほどでした。この何年かの間に、雨後のたけのこのように、東京郊外のそこかしこに出来た温浴施設ですが、現代の「日本人の疲労度」の高さを感じざるをえませんでした。しなければならないことに追われるような日々の真っ只中で、すべきことをしばし脇に追いやり、思いっきり緊張感を緩めて、裸になれるのは、日本独特の娯楽、いえ文化・伝統なのでしょうか。箱根や鬼怒川の温泉に入るのは、江戸の娯楽だったのでしょうか、この二十一世紀になっても、日本人の心の奥底には、同じ思いがあるからなのでしょうか。そういえば、顔も体も、緊張感を解かれて、『うーん、いいな!』と、みんなが納得しているような顔をしていました。もちろん自分もですが。



 あの時、夕食を一緒にとったのですが、『あれもこれも』と、しばらくぶりの日本料理を注文してくれて、彼とガールフレンドと三人で余すほどで、満腹になってしまいました。『こんな贅沢は、久しぶりだなあ・・・美味しい!』と思いながら、次男の好意に、『有難う!』と感謝して楽しむことが出来たのです。そういえば今、日本は秋たけなわですね。ガソリンが高くなってはいても、「行楽の季節」を迎えているわけです。今は、時々、インターネットで検索して、信州や東北の温泉を見ることがありますが、地図で見るよりも、写真や交通順路や解説がついていますし、近隣の観光地の紹介もなされています。今度、いつ帰られるか分かりませんが、帰ることが出来たら、また次男が、どこかへ連れて行ってくれることでしょう。そういえば親爺が風呂好きでした。『生きていたら湯河原あたりで、おんぶして温泉にいっしょに浸かって、背中を流して親孝行の真似をしてあげれたのになあ!』、と思ってしまう大陸の秋です。そういえば次男がご馳走してくれた料理の中に、秋刀魚があったようですが!今がたけなわなのでしょうか。


(写真は、上は、アジア地図、中は、4年前に鍵盤手術とリハビリが終えた後、訪ねた湯布院の友人の別荘から見えた「由布岳」、下は、39才の時に大きな手術を終えてからしばらく療養した増富ラジウム温泉の「金泉湯」の浴槽です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。