2007年6月4日月曜日

「ことば」


 NHKのラジオ第二放送で、日曜日の朝に「講演会」の内容が再放送されていて、よく聴きました。十人十色というのでしょうか、その興味は内容はともかく、話術の巧みさだけではないのです。その話者の来し方、在り方、生き様がどうであったかが、見えない分、何となく聴こえてしまうのが楽しみの1つでした。遠く離れている今、聴きたい番組の1つです。


 遠来の本と講演テープと会報が、友から届きました。こう言った彼の話の展開が好きなのです。知識を誇ろうとするのではない、読んできた本の数を誇るのでもない、余計なことを省いて、それで話の筋が一貫し、適用が上手で、結論がしっかりと導かれているのです。ちょっと声の音調が高いのは、若い日と変わらないのですが。

 また、書かれた本には、活字と活字、行と行の間に余韻が残されているのです。正直なのでしょうね、思想が高邁なのです。若い者たちにも老いた者にも、男にも女にも、教育のある者にも無い者にも、訴える思想があるのです。人の正直な生き方や考え方が紹介されています。共通の知人たちの事も触れられていて、知らなかったことが、『そうだったのか!』と読んで納得させられます。何よりも知識欲を駆り立ててくれるのがいいのです。

 中学の3年間担任だったK先生も、高校のN先生も、それぞれ社会科と英語科の教師でしたが、学級では、よく話しをしてくれました。ちょっと難しかったのですが、「大人」と認めて話しをしてくれたのです。『読んだらいい!』と本を紹介してくれたこともしばしばでした。『こうしたらいいじゃないか!』と、個人的に進言してくれたりもしました。『オジさんは・・・』と、N先生が、映画制作の裏話をしたことがあったのですが、『小津(安二郎)さんは・・』と言いたかったのです。だいぶ年をとられていたので発音がはっきりしなかったのですが、《慶応ボーイ》でした。

 若かった分、両先生の物の考え方の影響を受けたのですが、決定的に影響されたのは、母国語の違うアメリカ人のKさんでした。彼のもとに7年間いて、個人的に学ぶ機会が与えられたのです。ところが日本語が上手で、実に難しいことばを知っておられたのです。ですから、英語を学ぶ機会を逸してしまったのが、実に残念でたまらないのです。でも彼から、欧米的な思想の原点を、そして普遍的な考え方を、「ことば」の大切さを、「世界的古典」から学べたことは、素晴らしい年月だったと思い返して、感謝しています。日本精神に凝り固まった井の中の蛙然としていた私が、大海に泳ぎ出せるような願いを、心の中に培ってくださったことに、深い感謝を覚える六月、これまでの年月とは趣きの違った、天津での初夏であります。


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。