2007年6月1日金曜日

昔日のような友情を培って行きたい!


 学校に行く時に、時々下駄で行ったことがあります。ただの下駄ではなく、高下駄でした。弟が少林寺拳法をするバンカラの学生でしたので、彼のを借りては穿いていたのです。新宿の地下道に響いていたあの『カラン、コロン!』という音がなんとも言えなく気持ちよく、背がだいぶ高くなった気分もして、爽快だったのを思い出します。でもそんな私を見て、奇妙に思われた方が『ケタケタ』と笑っていたに違いありません。

 横浜の港から、「赤い靴」を履いて、異人さんに連れて行ってもらった女の子の歌は有名ですが、「下駄」を履いて、玄界灘を渡って、中国に来た物があります。日本の文化や製品や影響力のことです。こちらでも「カラオケ」が流行っているそうで、週末には友達と行くと知人が言われています。「アニメ(漫画)」も子どもたちは大好きなのだそうです。私たちを教えてくれている一人の先生は、子どもの頃に、「一休さん」が大好きで、内容を暗記してしまうほどに観たことがあるそうです。

 今日日、中国のみなさんの日本人と日本製品に対する関心はずいぶんと高いように感じます。聞くところによりますと、女優の中野良子と元歌手の山口百恵、俳優の高倉健は、映画で紹介されて、熱烈なフアン層を作ったそうで、いまだに人気があると言われています。

 時々、街の中で、高級車の中に日本車を見ることがあります。また中国国産のように言われていますが、先日、上海南駅-杭州駅(171キロ)、上海駅-南京駅(303キロ)間に開業した、どちらかの「中国新幹線」には、日本の技術が導入されているのです。

 また、こちらに参りまして、中国の食材を買って調理して食べ、時には外食をして来たのですが、食べ物の調理法は別として、『ア、これと同じ物を日本で食べたことがある!』という物に、よくめぐり合います。今日の昼に、笹の葉に包まれたもち米とあんこの食べ物を、蒸かしてもらって食べたのですが、それは、幼い日に母の故郷から送られて来た「ちまき」に瓜二つでした。まさに日本の食の原点は、ここ中国にあることを疑う余地はありません。味が違うのですが、ほとんど同じだと言えます。米作や野菜作りの種も、ほとんどは朝鮮半島を経由して日本にやって来たものです。味付けは、気候の違いによって変わってしまったのでしょうけど、日本では売られなくなったような物を見つけて懐かしく感じたりしています。長女が来た時に、古文化街に行ったとき、「綿アメ」が、露天で売っていて、彼女が家内に買って上げていました。

 地理的にも文化的にも、また人類学的にも、その距離の近さは、まさに至近であります。その距離を全く遠くしてしてしまった、過去の過失を埋めて、その至近の距離を回復して、昔日のような友情を培って行きたいものです。そんなことを思っていますと、外から物売りの通る声が響いて聞こえて参りました。
(写真は、新華社撮影の「中国新幹線」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。