2007年2月12日月曜日

「すそを堅くつかんで・・・いっしょに行きたい」


 T市の住まいで、2007年が明けました。驚くような速さで街が変わっていくのが感じられます。たったの4ヶ月の間に、その変化を身近に感じてさせられているのです。

 「08北京オリンッピック」が開催されるのにともない、サッカーと卓球の競技が、この街で行われるからです。道路が拡幅整備され、高層住宅があらこちらに建設中です。違法に改装されていた集合住宅が、有無を言わせず、一様に元の姿に戻され、青空市場で商いをする闇商人たちが追い払われ、去った後の道路に、敷石が敷かれて行くのです。壊れた看板が新しく付け替えられ、街中に散乱していたごみを清掃人が箒を持って掃いています。信号無視の車や人や自転車の行き来する交差点には警察官が立って、交通の流れを指導している様子が際立ちます。スーパー・マーケットの中に、『放痰禁止!』の貼り紙が見られます。外側から、この国が変わろうとしているのです。

 1964年に、東京でオリンッピック大会が行われた当時の東京を思い出してみて、ここ天津が、40年余り前の東京に、どこか似ているのを感じさせられています。目立った近代的な建造物のなかった東京の街の中に、ビルの間を綱渡りか綾取りの糸のように曲線を描いて交差した首都高速の道路網が張り巡らされて行きました。まだのどかなな旅が楽しめたのに、高速の東海道新幹線で、東京と京都・奈良・大阪とが結ばれたのです。アメリカ映画でしか見たことのない、大都市の景観が、東京で見られるようになったのには目を見張らされました。でも、新宿でも渋谷でも街の中には、ごみが散乱し、悪臭がドブから立ち昇り、手洟をかみ、痰は辺りかまわずに吐かれていたのを覚えています。代わりつつある街の中で生きる人たちの生活習慣と、近代化していく街の景観との間に、不釣合いがあったのです。

 今の東京を見て、『建物では引けを取らないし、かえって私たちの国の方が優れています。しかし東京の町が実にきれいなのに驚かされてしまうのです!』と、東京を訪ねた中国の方が語っておられるのを聞きました。「きれいな東京」、一瞬のうちにできたのではありません。30~40年の歳月の地道な努力と変化の積み上げがもたらしたものなのです。

 この天津の街の中で、『仕事がないのです!』との話を何度も聞いています。50代の男性の話なのですが。青年も例外ではないようです。大卒が多く、その学生数にも驚かされます。『せめて、子供には高等教育を!』と、高等教育を受ける機会を得なかった世代のご両親が共働きで、子弟の教育を願ったからなのでしょう。失業の主要な世代は、あの時代の大変動の只中を中学~大学で過ごした人たちの世代なのだそうです。その「しこり」は30年たっても消えていないようです。強い酒が飲まれています。酩酊した人が寒風の中、路上に横になっているのえお見かけました。豊かさとともに、精神的な荒廃や混迷が後を追って来ているのでしょうか。

 貧しいときには、『豊かさに向かっての一生懸命さ!』でやって生きて来たが、物が豊かになるにつれて、考える余裕が心の空虚さに気づかせているのではないでしょうか。『日本とは違って自殺をする人はほとんどここにはいないのです!』と聞きます。2006年も、また3万人以上の自殺者を日本が出している事を知って、うらやましい限りですが。

 でも今日の日本の問題は、明日のこの国の問題かも知れないのです。でも、身近に感じている事ですが、この国の人たちは、クヨクヨしないし悩まないのです。遠慮など高い徳ではないかも知れません。多弁な彼らは大声で感情を豊かに放出しています。自らの命を断つことなく、生きるのに賢明な民族に違いないのです。でも将来は分かりません。「唯物論」に養われた旧ソ連の人々のアルコールの過度の摂取が、今日の大きな社会問題であるのを知って、その可能性を、この愛する方々の内に感じてならないのです。「心」や「霊魂」の存在、いのちの付与者を認めない教育を、1950年代から受けた世代の人たちの心に、「潤い」や「優しさ」や「静寂さ」への渇望がうかがえるからです。物が人の生活を潤す以上の価値感を知って、それを願い求める願いが、湧き上がるに違いないと信じるのです。心が豊かになりたいと願っているからに違いありません。

 その価値を、すでに見出した者たちの「衣のすそ」を、彼らが堅く握って、「いっしょに行きたい」と、私たちのもとに求めて来られるのではないでしょうか。この国の祝福を願う、新しい年の初めであります。 (1月1日)                                                                           

0 件のコメント:

Powered By Blogger

自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。