刑務所の内と外
学校の近くに、高いコンクリートの塀で囲まれた「刑務所」がありまた。冬場になると、この塀の周りを3周するランニングが基礎練習の定番だったのです。結構距離があったのですが。 『俺も将来、ここに入る可能性だって無いとは言えないよな!』と、変に納得しながら走っていたのを思い出します。今のところ、その塀の高さは高いままですが。
また、近くに「少年院」もありました。この門の隙間から、教室とか宿舎が見えるので、通りすがりに何度ものぞいてみたものです。 『俺だって暇をもてあそんでいたら、ここに入っていても不思議ではないんだよな!』と思いながらでした。あいにくと言うか、運がよかったと言うか、ここにも入らずじまいでした。
最近、この刑務所には、外国人が多いのだそうです。アジア人もアメリカ人もアラブ系も、40カ国もの国籍を持った人たちが、あふれるほどに収監されていると言うのです。言葉も、食べ物も様々なのだろうと思われます。かつて塀のめぐりを走っていた時に、そんなことは思いもしなかったことでしたが。少年院にも刑務所にも入らなかったのですから、あの学校で6年間学んだ学習効果があったことになるのだろうと、恩師の顔を思い出しながら。
もう20年も前になりますが、A市の鑑別所から、一人の少年を預ったことがありました。幼い時に両親と死別して、姉と二人の姉弟でした。私の息子たちがまだ幼かったころのことであったのです。隠れてシンナーを吸い、塗装店から仲間とシンナーの一斗缶を盗んで警察に捕まるし、私の留守の間に遊び仲間を呼び入れるのです。愛が足りないので思いっきり愛を示しましたし、彼の姉も引き取って世話をさせていただいたのです。
施設で育ったのですが、上級生には、いわゆる「喝上げ」をされたり殴られたのだと言うのです。家内は、一生懸命に世話をしてくれましたが、彼らは「家庭」がか、どのように機能するかも知らないのです。集団の中で生きて来たからでした。そうこうしている間に、長男が彼を怖がってしまいました。そんな時に、彼はプイと出て行ってしまったのです。
『Nくんは、どうしてるかな?』と、今でも思います。まさか刑務所に入っていないと信じたいのですが。平凡な家庭を築いて、そこでで寛いでいて欲しいのですが。
小菅の拘置所での体験を記した「獄中記」が、講談社から出版されています。500日以上もの拘置体験を綴ったものです。恥な経験を逆手にとって、たくさんのことを獄中で気付き学んだと言っておられます。
『今頃、私の後輩たちは塀を左に見て、何を思って走っているのだろうか?』、そんな思いに駆られています。 (写真は、「武蔵野・多摩MTB散歩」から)
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