2007年2月25日日曜日

終の棲家



 「終の棲家」として住んでみたいのは、南信州の駒ヶ根です。この町を車で初めて通ったときに、そのような気持ちにさせられてしまいました。町並みが整然としている、自然が美しい、信州人気質が好きだとかいった理由ではありません。第一印象がよかったのです。次女の家族が、飯田に3年間住んで、その滞在期間の間に孫が生まれました。その孫に会いたくて何度も訪ねた帰りを、高速道路に乗らないで、国道を通るたびに、駒ヶ根の町並みに入ると、何時もそう思わされたのです。

 これまで、たくさんの街を訪ね、通過し、泊まったりしてきましたが、そういった気持ちを持たせてくれたのは、この駒ヶ根だけでした。そんなに豊かには見えませんし、歴史があるのでもないと思います。そう願わさせたのは、年齢的なこともあるのでしょうか。境遇的なものもあるのだと思います。残された生涯を、海を渡って過ごそうと決意し、準備し始めてから、その思いはさらに強くなりました。持ち物や財産を処分して、わずかな衣服と書籍を持って、こちらに来ました。そして父から経済的に独立してから、初めて無収入の日々を生き始めたのです。

 餞別に頂いたり蓄えたものを持つて、寄留者のようのように生き始めました。2年間の経費には、十分ではないと思いますが、備えられると信じております。結婚してから借家住まいを、ずっとして来ましたが、その最後の借家をお返しして、そこにあった35年間のほとんどの物を、思い出を除いて処分してしまいました。何かが残っていたら、挫折した時に、そこに戻る事になるのだと思いましたから、すべての物を捨ててしまったのです。

 今は、外国人宿舎に住ませていただいています。『お父さんとお母さんはどんな風に生きているのだろうか?』と、心配した長女と次男が、先週と先々週、交互に訪ねてくれました。一緒に時を過ごして、必要な物いろいろと買い備えてくれました。育てた子から、厚意を受けて本当に感謝で一杯でした。『一人っ子っていいな。なんでももら一人でもらえるんだから!』と4人兄弟で、何でも分け合わなければならないのを友人と比べて、そんなことばをふと、小学生の時に漏らした長女でしたが、わざわざ来てくれたのです。次男は、『僕が面倒見るから、帰って来なよ!』と言っていました。

 父が青年期のある時期を過ごした国の一角で生き始めて、中国語を学んで、日本人を正しく理解していただくために、何かをさせていただきたいからであります。
  
 駒ヶ根ではなく、この国のどこかが、私と家内の「終の棲家」となるのかも知れません。

(写真は、「駒ヶ根観光協会」のHPからの転載)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。