2008年12月26日金曜日

遠い国からの良い消息



 中学生のころからでしたが、「北京放送」を携帯ラジオで聞くことがよくありました。海を隔てた中国大陸から届く電波に、異国情緒を感じていたからです。布団にもぐりこんで、ラジオを耳に当てて聞くのですが、懐かしい思い出の1つです。実は、昨晩も、ラジオのチャンネルを探していましたら、「国際放送局」からの日本語放送を見つけたのです。1044KHでした。聞いていまして、その放送内容に大きな変化があるのが、分かったのです。語学の講座から、音楽や時の話題が盛り込まれていて、放送スタッフも何人もの方が入れ替わりで担当しているのです。実に日本語の上手な方たちでした。放送の雰囲気が、『前よりも明るいな!』と感じられたのです。




 そんな放送を興味深く聞いて寝たのですが、今朝のネットでのニュースに、『中国メディア“好意的”な日本報道目立つ!(MSN)』と言うタイトルで、記事が配信されていました。その内容ですが、『・・・12月5日発行の共産党中央宣伝部の機関誌「半月談」は「1978年にトウ小平氏は日本から何を学んだのか」と題する記事を掲載した。同年10月 の訪日で新幹線に初めて乗り、松下電器産業や新日本製鉄などを見学した邓小平氏が日本の発展ぶりに大きな刺激を受けたことを詳しく紹介、「この経験は後 の中国の近代化構想の中で大いに参考となったに違いない」と論評した。』、また、『23日付の中国紙「中国青年報」は「日本がなければ、改革・ 開放は大きく異なっていた」とするコラムの中で「1979年以来、日本は中国の最大の援助国となり、総額2000億元(約2兆6000億円)以上を提供 し、中国が受け取った援助額全体の67%を占める」と紹介、「2002年までに日本は1万2000人の専門家を中国に派遣し、農村開発などの分野で大きな 役割を果たした」と指摘した。北京紙「新京報」なども最近、同様の内容の記事を掲載している。』とありました。




 これまでの日中関係の明るい部分が強調されていることは、こちらに住む者として実にうれしいことであります。よく街中を歩いていて、日本人だと分かると、『メシ、メシ!』と言うのです。聞き覚えがあるのですが、『メシって、中国語に違いないし、何の意味だろう?』と思っていたのです。ところが、中国のテレビで放映されている《戦争物》に登場する日本兵が、よくこのことばを語りながら、家の中に入ってくる場面を見たときに、中国のみなさんにとっての一番馴染み深いのことばが、この『メシ、メシ!』だと言うことが分かったのです。つまり、こちらのみなさんの日本語で最も有名なことばなわけで、『飯、飯!』と言っていたことになります。あるとき、そう語ってきた人に、隣の人がたしなめていたことがありました。聞くことには慣れましたが、聞いて気持ちのよい日本語でないことは事実です。つまり、戦争中の日本兵に、食料を求めて自分の家に侵入された経験があることを、如実に示しているからです。聞くのは嫌な気分がしますが、かつての日本人のイメージがよくなかったことを知らされて、複雑な思いがするのです。それで、『悪いイメージを変えていく務めが、ここで生きる私たちにはあるのでは!』と、強く思わされるのですが。




 邓小平氏が始めて日本訪問をされてから30年が経ったことになります。そのときの日本の印象が、改革開放のために大きな動機付けになったのですが、30年の経過を節目に、よりよい関係が回復されていくことは、日本にも、ここ中国にも実によいことに違いありません。この31日の「大晦日」には、友人が招いていてくださって、「紅白歌合戦」を一緒に観ることになっています。日本に9年間も留学した経験のある彼女にとっては、最も日本らしいテレビ番組、《現代日本文化の象徴》に、私たちを誘いたかったに違いありません。番組への興味は、そんなに強くありませんが、彼女の好意と友情に、ぜひとも応答したいのです。

 私の愛読書の中に、「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ 」とあります。北京からのラジオ放送が、私にとって、そうであったように、北京に起こることが東京に配信され、そのニュースがネットに載せられ、それを読むことは、まさに疲れと渇きと逡巡を癒す《飲料》に違いありません!決して《冷や水》ではないのですから。

(写真は、「一杯の水」・http://aknet.ashita-sanuki.jp/、この12月21日に北京で開催された「中日青少年友好交流年・閉幕式」、「邓小平氏」、「中日青少年友好交流年・閉幕式」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。