2008年12月7日日曜日

流行語大賞の今昔


 年末恒例になったものの一つに、「新語・流行語大賞」の発表があります。今年は、『グ~!』と『アラフォー』だったそうですね。ことばの流行する世の中の動きに身を置いていませんので、実感がないのですが、『今年は、カタカナ語が流行ったんだ!』と思ったのです。私は、四人兄弟の三男坊で、上に二人の兄と一人の弟がいます。すぐ上の兄(中国語では次兄を《二哥ergeアル・ガ》といいます)が生まれたのが、昭和1681日でした。西暦ですと、1941年のことになります。この年、「森の水車」、「たきび」、「里の秋」といった叙情的な歌詞の歌が発表され、下村胡人の「次郎物語」が発刊されているのです。実は、この年の128日に、太平洋戦争が開戦されています。この年には、流行語大賞はありませんでしたが、もしあったら、その日、午前7時に放送した臨時ニュース、『 帝国陸海軍は今8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」(大本営陸海軍部発表) 』が選ばれたのではないでしょうか。



 ホノルルで仕事をしていました長男を訪ねた時に、オアフ島の北側にあるノースショアに連れて行ってもらったことがありました。そこはサーフィンの世界的なメッカで、『何時か、機会があったら行ってみたい!』と思っていたからです。波乗りに憑かれたサーファーたちが、驚くほどの落差のある大波に乗っていました。それを見て、もう若くなかった私は、圧倒されてしり込みしてしまいました。多分、30代だったら、危険を顧みないで一緒に打ち興じていただろうと思います。そこからカネオヘに行き、そこからホノルルに抜ける高速道路に入りました。うっそうとした南国の山間部の森林の中を、ジェット・コースターのコースように走っているのです。東京から名古屋に抜ける中央自動車道が中部山岳地帯を走っているのですが、恵那山トンネルに入っていく道筋と、トンネルを出て蛇行して下って行く中央道を思い起こさせるような、とても似た景観を見せていました。

 実は、この高速道路のカネオヘからのコースが、昭和16年12月8日、日米開戦の発端となった、アメリカ海軍の太平洋艦隊の基地・真珠湾を攻撃したときの侵入コースの一つでした。山間部をぬって侵入して攻撃したのです。その道を通り抜けながら、その話を息子から聞いていて、まるで、『淵田美津雄隊長の駆る攻撃機に乗っていたら、こんな感覚だったのだろうか?』と、感じさせられたのです。山腹に橋げたで支えられた高速道路の高さは、そう錯覚させるに十分でした。もちろん攻撃のためではなく、息子の家に戻るためでしたが。奇襲攻撃を仕掛けるために、綿密に調べ上げたのでしょうか。


 

 その高速道路を降りて、しばらく行きますと「アリゾナ記念館」がありました。それまで何度もホノルル訪問の機会があったのですが、そのたびに見学を避けていた私は、そのとき、意を決して、息子と一緒に入館してみたのです。ボートに乗って記念館の上に上がったときに、なぜか、涙が流れて仕方がありませんでした。その記念館は、轟沈され海中に沈んた戦艦・アリゾナの上にあったからのです。不思議な感情が湧き上がったようです。どんな理由があっても、戦争は避けたいものです。来春には92歳になる母と97歳になる義母がいて、4人の子がいて、4人の孫があますから、悲劇しか生み出さない戦争は是が非でも回避したいものです。

 アメリカ軍も日本軍も、軍務に着いた戦士たちは、祖国への愛、祖国に住む家族への愛にあって軍務についていたのですが、残念なことに多くの惜しい命を失ったことになります。毎年、この月になると、そんなことを思い起こさせられるのです。やはり平和がいいですね。


(写真は、映画化された「次郎物語」、ハワイの「オアフ島」、ホノルルの「アリゾナ記念館」、「里の秋・http://blogs.yahoo.co.jp/hassy205tcc/50348728.html」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。