2008年12月25日木曜日

福州今昔






 先日、福州(「榕・ロング」は福州の別称)の街の「老照片(古写真)」を、ネット上に見つけました。100年ほど前のもののようです。その写真と、現在の街の様子を比べてみますと、大きな違いを見せているのが分かるのです。街の中を闽江(ミンジャン)が流れていますから、かつては海運が発達していて、多くの「船(写真には《山東船》と記されてありますが、《ジャンク・戎克》呼ばれていた船のことでしょうか?)」が行きかう映像が残されているのです。




 護岸工事が出来る以前ですし、高層住宅もなかったのですから、めぐりにある山を見渡せることも大きな違いです。どこでも山並みの自然の様子は変わっていませんので、位置感覚を確かめることが出来るわけです。もちろん今でも船の航行はあるのですが、鉄道や自動車のない時代には、船が、人や物の運搬のために用いられていたわけですから、比べようがありません。昔、香港の港の様子を写した写真を見たことがありますが、それとそっくりな船の航行が、ここでも見られたわけです。その船の数も、相当なものだったのではないでしょうか。




 私たちの家の近くから、60番のバスに乗りますと、「台江歩行街」と言うところに行くことができます。ここは、かつて水揚げされた物資が集積された「問屋街」だったそうで、その名残でしょうか、今でも多くの問屋さんが、ひしめき合っていて、多くの商売人の出入りで街がにぎわっているのです。近隣の町から商人たちがやって来て、ここで商取引がなされていたのでしょう。『ここで買い物をすると、何でもありますし、物価も安いんですよ!』と友人が教えてくれました。何時でしたか、『台江に吉野屋が出来ましたよ!』と言われて、ある夕方、家内と歩いて橋を渡って行ったことがありました。調理も味も似ていましたが、やはり本場の味とはちょっと違っていたのは仕方のないことですが、結構懐かしく箸を進めることが出来ました。





 中国のどこでも同じなのですが、「改革開放政策」がとられてから、この30年ほどの変化は、驚くほどのものがあるようです。私が初めて中国に来て、北京、呼和浩特(フフホト)、上海、広州を訪ねた12年前と比べてみても、かなり大きな違いがあるのが分かります。ですから、この30年の隔たりは、実に大きな変化をもたらせたことになるわけです。古写真を眺めて気づく、もう一つのことは、街に緑が乏しいことです。ところが現在の街の様子を眺めますと、そこかしこに樹木が茂っていて、幹線道路沿いには、綺麗な花の咲く木が植えられていて、目を楽しませていてくれるのです。この福建省は、中国で一番緑の面積の占める率の高い省で、とくに林業に力を投入しているのだそうです。このことは一昨年の夏に天津から越して来まして、気づかされた違いでした。とくに「カジュマル(榕树)」は街路樹として植えられていて、真夏の強い日差しをさえぎってくれるのです。森林公園には、樹齢千年のカジュマルがありましたし、私たちの家から、もう少し高台に行ったところにある華南女子大学の近くにも、巨木のカジュマルがあるのです。また街の中をバスなどに乗って移動しますと、小高い丘のような山が、街中に幾つかありますから、それも気に入っている1つのことであります。そういうことで緑の多さは、空気も綺麗だと言うことになりますが、昨今、自動車が日増しに多くなっているので、残念なことに空気汚染の環境問題が取り上げられているようです。


 
 
 20番のバスが、川を渡るところに、「中洲島」と呼ばれている中州があります。多分、一番最初に掛けられた橋で、「大橋」と呼ばれていますが、これは日本の企業がかけたのだと、聞いています。今は、何代目かに架け替えられたものに代っていますが、古写真と比べてみますと雲泥の差を見せていて、静かな時の流れだったでしょうか、または騒乱の時の移ろいだったのでしょうか、時の推移を感じさせられること仕切りであります。




(写真は、上から、私たちの住んでいる倉山区にあった「協和学院・現在の福建師範大学の前身でアメリカ系のミッションスクール」、「旧市内の南門付近』、「闽江に浮かぶ山東船」、「昔の中洲島・中州の中央部にあるのが教会」、「今の中洲島」、「以前の福州大橋」、「今の福州大橋」です)
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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。