2008年12月14日日曜日

「武家諸法度」


 『少年老い易く学成りがたし。一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草の夢、楷前の梧葉既に秋声。』と詠んだのは、宋代の政治家であり、儒教の教えを集大成し、「朱子学」を提唱した朱熹(1130~1200)でした。彼はお父さんの任地の福建省(在の三明市)出生まれています。ところが近年、この日本で有名な詩は、彼の作ではないといわれてきています。朱熹の作品・散文集の中にはなく、日本のいくつもの書物の中に散見され、作者不明だったり、表題なしのままに引用されているようです。どうしてこの詩が有名なのかといいますと、明治期の漢文教科書に、『人生は短いんだ。だから時間を大切にして、しっかりお国のために勉強に打ち込め!』という願いを込めて、先生たちが好んで、教えた詩だったのです。中学の国語の時間に、僧侶のS先生は、ずいぶんと熱を込めて、この漢詩を教えてくれたのを思い出します。きっと、立派になってもらいたいと私たちを鼓舞したのでしょう。


 

 ここ福建省にも、いくつか「世界遺産」があるのですが、江西省と浙江省と接する近くに、「武夷山(ウ・イ・サン)」と言う山があり、私たちに住んでいる福州を流れる闽江や揚子江に注ぐ支流の源流の分水嶺であります。烏龍茶の名産地で、一日の気温の日較差が大きいことから、茶葉の生産に立地条件がよく、極上の茶葉を生産しているのです。「岩茶」と呼ばれる茶葉は、高値知らずの取引がなされていて、最高級の折り紙がつけられているそうです。

 この近くに、朱熹の学校「武夷精舎」があって、立身出世や明日の中国を担おうとする多くの学生たちが、彼を慕って中国中からやって来たそうです。ここで学んだ学生たちは、「科挙」、さしずめ日本の国家公務員の上級試験、エリート試験といえるでしょうか、その試験の難関を突破して、じつに多くの合格者を出したようです。そこで、朱熹は儒教の教えをもとに「朱子学」を集大成したのです。この「朱子学」の思想は、以後七百年に渡って中国のみならず、朝鮮日本に大きな影響 を与えることになります。


 

 徳川家康は、江戸に幕府を置いて国を治めるに当たって、武力支配に代わって、新しい政治支配理念の導入を思いつきます。支配を強固にして、長く存続すようにと願ってでした。そこで、23歳の儒学者の「林羅山(1583~1657)」を召します。彼を厚遇して学問所を開かせるのですが、それが後の「昌平 (しょうへいこう/昌平坂学問所・・・東京大学の前身)」になり、江戸幕府の「官学」の府となるのです。羅山は、朱子学を学んだ藤原惺窩の弟子で、1635年には、日本史で習った「武家所法度」を起草しています。これは、武芸や学問をたしなむこと、大名は参勤交代を毎年すること、だれと結婚することができ、どのような色彩の服を着るか、などの武士の生活上の規則集でした。朱熹に端を発する教えは、日本社会に多大な影響を与えたことになりますね。来夏には、訪ねてみたいと思っております。

※ 「武家御法度」は、6回ほど改定されています。林羅山の起草は、「寛永令」です。大型船(五百石以上)の造船禁止がなされています。遠洋航海が事実上できなくなったわけです。「鎖国令(都合5度発令)」とも関わりがあるわけです。

(写真は、「武夷山」、「朱熹と朱熹に扮した学生)、「林羅山・岐阜市下呂」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。