2008年12月1日月曜日

望みがあふれている!


 幕末の激動の時代、多くの逸材が生まれ、彼らは西に東に南に北に走り回り、志を燃えたたせたのです。長州の高杉晋作(1839~1867)や木戸孝允(1833~1877)、薩摩の西郷隆盛(1828~1877)や大久保利通(1830~1878)、土佐の坂本竜馬(1836~1867)や中岡慎太郎(1838~1867)、江戸の勝海舟(1823~1899)や榎本武揚(1836~1908)などを上げることが出来るでしょうか。その多くが、農民出であったり下級武士だったようで、江戸を無血のまま勤皇派に引き渡した勝海舟にしても、無役で小身の旗本に過ぎませんでした。


 

 私が子ども時代を過ごした、都下南多摩郡下の日野は、京都の治安維持、警護の任務に当たった「新撰組」の副長・土方歳三(1835~1869)の生まれた町でした。旧友の中に、彼と同じ苗字の親族がいたのです。近在の石田という村で生まれた彼は、自家製の「石田散薬」の薬売りをしながら剣術を学び、武士になる夢を抱きながら青年期を過ごてします。彼らのほとんどが活躍した世代は、二十代から三十代でした。明日の日本に思いを向け、それぞれに心血を注ぎ出して生きて死んだのです。それぞれの立場と信条とで、自分たちの育った国を愛し行動し仕えたことになります。

 こういった志の高い青年たちが、この平成の代に大勢いるのです。彼らは、幕末の志士や幕臣のように、高い理想と使命感とに立ちながら、明日の日本の建設に、日夜励んでいる若者たちです。企業に勤め、商店の業務につき、公務員として奉職し、教壇や研究室に立ち、空と陸と海との国防への思いを抱き、治安や防犯の公務につき、社会の弱者と言われている方々にさまざまな方法で援助の手を差し伸べ、あるいは家業を継ぎ、父や母や祖父や祖母、兄弟姉妹や友人や隣人に、平和で価値ある明日の日本を提供しようと励んでいるからです。彼らには、『俺が、わたしがしなければならない!』との「使命感」があるのです。金や名誉のためではなく、生まれ育った国を愛するが故にです。


 

 『派出所にいて、近隣の住民が安全に生活していくために仕えたい!』との願いで、交番勤務を27年続けてきた巡査が殉職しました。お名前を、宮本邦彦さん(巡査部長)といい、2007214()、踏切の中に飛び込んで住民の命を、自らの命をささげて救出したのです。その青年期に、警視などの高級警察官になる夢をもたれないで、一介のお巡りさんとして交番勤務を選ばれた方です。そういった平凡で無欲な選び取りなのですが、実に高い志を持たれた方が、市井(しせい)に多くいらっしゃるのです。だから日本の将来には望みがあふれているのです。私は悲観しません。幕末の青年たちのように、国を憂い、国を想い、国を愛する若者たちに、心から応援を送りたいのです。ここ中国でも、多くの青年たちが国を愛し、同国民を愛して励んでおられるのを見聞きしているのです。若いみなさん、どうぞ、宜しく励んでくださいますように!

(写真は、日本列島、土方歳三、宮本巡査部長が電車と接触した「東武東上線常盤台駅踏切 です)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。