2008年12月23日火曜日

冬を迎えた被災地に思いを向けて



 今年、最も衝撃的なニュースは、四川省で発生しました、「四川大地震」だったのではないでしょうか。北京で開催された「オリンピック」が、華々しく成功裡に行われましたが、その3ヶ月前に起こった出来事を忘れることができません。ちょうど、私は帰国中に、次兄の家でこのニュースを見たのです。鼓膜再生の手術のために、仙台に行きまして、手術の日まで待機している間に起こり、私の驚きは尋常ではありませんでした。中国で暮らし始めた私にとって、この国で起こる出来事は、実にわが身に起こった出来事のように感じておりましたので、驚きと悲しみで胸がいっぱいにされてしまったのです。この被災地の近くに、二度行ったことがありましたから、ことの他衝撃的でした。日本の中部地方の山間の谷の何倍も、規模の大きい渓谷の未舗装の路を車で走って、連れて行ってもらったことがあったからです。テレビに映った「汶川県」の看板に見覚えがあったのです。初期の報道ですと、被害者が数十人ほどでしたが、日を追うにしたがって、被害が甚大であることが判明してきたのです。私たちが訪ねたときに、山の土砂の崩落で、道路がふさがって、数時間も交通止めになったことがありましたから、何となく被害の状況を想像することが出来たのです。あの道筋で、物を売っていた子どもたちの中にも、きっと被害者がいたのではないでしょうか。武田信玄が、釜無川の氾濫を防ぐ河川工事をしたのですが、そのモデルとなった、「都江堰」も訪ねましたが、ここも大きな被害があったようです。

300キロメートルにも及ぶ断層上に、地震が発生したことが分かり、断層沿いの村や町が壊滅的な被害を受けたのでした。その被害も、ついには6万9197人、行方不明者も2万人ほどだそうで、被災者の数は、累計で4616万0865人だったと報告されています。 世界中から、救援金や物資が送られ、日本からも多くの援助の手が差し伸べられて、災害救助と復興に寄与できたことは感謝なことでした。なお、今でも生活支援のために、日本からも技術指導者が被災地で働いておられるようです。また四川省からは、地震の専門家のみなさんが、関西圏を訪ねて、復興のための意見交換がされているとのことです。
 


                                       
 私たちの国で、1995年1月17日 に発生しました、「阪神淡路大震災」は、まだ私たちの記憶に残っておりますが、長女の友人の弟さんが被災されて、亡くなった知らせを受けて、共に悲しんだことがあったのですが。地震直後に、学校で学んでいて、ちょうど帰国中だった長男も、中学生だった次男も、被災者の給食活動のために、学校を休んで駆けつけ たこともありました。度重なる天災の知らせを聞いて、『どうにかならないだろうか?』と思わされるのですが、地震予知のための研究も進んでいるようですね。これとて大変に難しいのでしょうか。大きな災害の被害を経験してきている地球は、なすすべがないように感じ、自然の猛威の前には、人間の営みが瞬時にして崩壊してしまうさまに、無力さを感じてならないのです。

 冬になって、四川の被災地は寒い地域ですから、仮設住宅に住んでいらっしゃるみなさんの暖房は完備しているのでしょうか。食べ物や衣服は十分なのでしょうか。仕事の機会もあるのでしょうか。きっと多くのみなさんが、故郷を離れて、中国のそこかしこで新しい生活の基盤を作り始めていることと思いますが、世界恐慌による景気低迷で、仕事の機会もはなはだ少なくなっていると聞いています。こちらの友人たちが、義捐金を持参したり、奉仕に出かけたりしておられますが、間もなくやって来る「春節」を喜びを持って迎えられますように、心から願っております。子どもたちの心のケアーがなされ、恐怖の記憶が薄らぎ、心の傷が癒されて、明日に向かって生きていきますように。四川を含めた地球の上に、人々の間に、「平和」が訪れることを切に願う「聖誕節」であります。

(写真は、地震後に生まれた「あかちゃん」、日本から派遣された「救援隊」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。