2008年12月2日火曜日

ペンをもって!


 私たちの国で、明治維新政府が目指した国づくりは、当時の欧米先進国に追いつき、やがて追い越すことを願って、「富国強兵」政策を掲げて強力に推し進めました。長い鎖国で立ち遅れた日本を、欧米並みにしたかったのは当然だったのです。ただ「経済」と「軍事」の二本柱を掲げて、義務教育も、この分野で十二分に貢献できる国民の育成を願って始まったのです。いわゆる「和魂洋才」、精神性は伝統的な日本精神を掲げ、技術だけを欧米に学ぼうとしたのです。手先は魂の働きによって動かされるのですから、欧米の技術は心抜きでは生まれてこなかったのです。それなのに両者を分離しようとしたのは、やはり矛盾だったことになるでしょうか。 

 ところが、欧米を三度視察した福沢諭吉(剣術の達人だったそうです!)は、「学問ノススメ」を書き著して、『「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言えり・・・・・』といって、欧米の人間観を紹介して、人には上下貴賎のないことを訴えたのです。 この本は、当時のベストセラーで、多くの読者をえて、新しい国作りのために、一石を投じたのです。その彼は政治家にはならないで、学問を通じて人を作ろうとして、教育の分野に生きることを決めたのです。1868年に、彼が開学したのが、「慶応大学」でした。またアメリカに学んだ新島襄は、京都に「同志社」を、政治を志した大隈重信は、もう一方で「早稲田」を創立していきます。そんな教育者たちの中で特異だったのは、1年に満たない滞在で大きな感化を当時の青年たちに与えた、「札幌農学校」のウイリアム・クラーク教頭でした。彼の感化を直接的に間接的に受けた人材が、教育界や実業界で活躍したことは特筆すべきことなのです。クラークの孫弟子に当たる人の中には、「小国主義」を提唱した総理大臣・石橋湛山がいます。彼らは、剣やハンマーによってではなく、「ペン」をもって国造りをしようとしたのだと言えるでしょうか。


 

 日本人の学生や青少年に語り継がれている有名なことばを、このクラーク教頭が残しています。『少年よ。大志を抱け!』です。欧米の教育者のことばとしては、私たちの国では、最も影響力のあることばで、後の北海道大学だけではなく、多くの青年たちに歓迎されたのです。この札幌農学校の校則も独特でした。クラーク教頭は細かな規則を嫌い、ただ一言、『紳士たれ!』を学生に求めたのです。彼は学生を一人の大人として認め、大人として接し、大人であることを要求したことになります。その合理性と簡潔性は、複雑で細かな日本人には必要な理念かも知れません。

 その様にして、さまざまな理想や理念によって建てられた学校で、多くの優秀な人材が育てられていったわけです。私が学ばせてもらったのは、ヘボン式ローマ字を発案されたヘボンが始めた「明治学院」でした。この学校では、先生も学生も、お互いが、『〇〇さん!』で呼び合ったそうです。つまり、英語圏での《ミスター&ミセス》です。これもまた、教師を先生と呼ばない点では、日本社会では特異な存在であったことになります。私立学校としては、有名校でも一流校でもありませんが、最も古い歴史を持つ学校なのです。


 

 今日も、有為な青年たちがさまざまな場で学び、夢や理想や幻を胸いっぱいに膨らませています。知性への教育だけではなく、人格教育がなされ、自国だけの祝福だけではなく、世界の平和や繁栄のために貢献できる健全で有為な人材が求められています。そういった彼らが、その夢や理想や幻を解き放っていくことを切に願うのです。『痩せたソクラテスであれ!』といった東大学長がおいででした(大河内一男)。自分や自国だけが肥えるよりも、ものを考え、他者のことを思う心を宿す勧めだったわけです。さあ、私たちの国にも、どこの国にも、隣人や隣国をも富ませていくことの出来る度量や視野の深く広い人間が輩出しますように!

(写真は、慶応義塾の校章・ペンマーク、「クラーク教頭」、「明治学院の記念館」です)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。