2008年12月6日土曜日

一週間後


 私が6年間通った学校は、JRの国分寺駅と京王線の府中駅を結ぶ道路際にありました(直線ではありませんがバス路線でした)。その沿線には、有名な府中刑務所があります。その刑務所を挟んで西側に、府中から国立に抜けていく道路があり、その沿線に東芝府中工場があるのです。その刑務所の北側の塀沿いに、「学園通り」という道があって、この2つの道路をH型に結んでいて、武蔵野の雰囲気を色濃く残していた地域だったのですが、今は大きく変わってしまっています。この5月に久しぶりにその近くを通ってみたのです。実は、この壁際の東芝よりの路上で、かつて「三億円」が窃盗された事件が起きたのです。私が二十四になる一週間前のことでした。



 その日のテレビのニュースでも、翌日の新聞でも大々的に事件が伝えられたのです。当時の3億円は、《宝くじの3億円》とは違って、ある計算によりますと、30億円ほどになるそうですが(80億という人もあり)。私の当時の基本給が、2万5千円だったころのことです。怪盗ルパンのような手口で、数々の証拠品を残しながらも、未解決のまま40年が経つことになります。当時は、高度成長期の「いざなぎ景気」のでしたが、その恩恵に預かることとは無関係な業界で、私は仕事に従事しておりました。その職場が八王子にあったのですが、そこまで、この事件の捜査が広げられていたのです。年恰好が近かったのでしょうか、職場にやって来た捜査官にじろじろと見られたのですが、事件のあった日には、いつものように勤務していましたので嫌疑を掛けられることがなかったのを思い出します。また住まいが、府中の隣町にありました。これも疑われる理由かも知れませんが。あ、私ではありません!正直に言って、ほんとうに犯人は私ではありませんので、決して疑わないようにお願いします。



 時効が成立して、もう何年も経ちますが、まもう捜査本部も解散しているのでしょうか。実は、あの事件発生の箇所は、毎年冬季練習で、刑務所の周りを、『ここに、いつか入ることがあるかな?』との思いで走っていましたが、そんな私の汗のしみこんでいる道路ですから、だれにも負けない土地勘があるのも事実です。ここ中国の福州の地から、はるかに事件現場のことに思いを寄せているのですが。今年5月に、鼓膜再生手術のために帰国したときにも、兄がご馳走してくれるというので、あの現場近くのすし屋さんに出かけたのです。やはり気になる現場ですから、車窓から、チラッと眺めてみましたが。周りの様子は、かつてのようではなく、刑務所の壁もすすけた灰黒色から、何だかペンキで美装されているのを見て、時の経過を感じさせられました。

 何だか言い訳になってしまっていませんか?まあ、疑われてても仕方がありませんが。こそ泥少年の過去もある私ですが、無実を証明したくて、ブログを記したようですね。この事件が思い出されるということは、日本の社会は《ボーナス》の時期になっているということでしょうか。あのわくわく間から遠ざかって、もう何年にもなります。無事の日本の師走を願う夕べであります。

(写真は、現在の「国分寺駅構内・http://blog.goo.ne.jp/y2-ito/e/5363005a252ac8d69fe9a727ddfd0032」、「三億円事件(新潮文庫)」、「府中刑務所・事件現場付近」です)

0 件のコメント:

Powered By Blogger

自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。