2009年3月31日火曜日

♯ ハッピー・バースデイ・トウ・ユウ ♭


 『・・・お母様は、あと半年くらい・・・・』と、母の主治医が私に告げました。家に帰って、父にその旨を報告をしたのです。父は、『そうか!雅、覚悟しような!』と言いました。もう四十数年も前の日のことになります。これは、婦人科の疾患で、腫瘍がみつかり、その摘出手術をし、『念のために組織検査をしてみましょう!』とのことで、その検査結果を告げるために、父が呼ばれたのですが、『雅、行って聞いて来てくれ!』と言われた私が、出かけて行って、聞いてきたときの話です。父ではなく、二十代前半の青臭い私が来たことに、怪訝な顔をした福島先生が、いわゆる「ガン告知」をされたのでした。聞いたとき後頭部を『ガーン!』と殴られたような感じがしたのを思い出します。

 ところが、半年どころではなく、病癒えた母は、あれから四十年も元気に過ごして、今朝、92歳の誕生日を迎えたのです。『誕生日おめでとうございます!』とカードを郵送し、誕生日を指定した「誕生メール」も送りました。そして今日は、学校から戻ってから、電話で、『お母さんおめでとう!』と伝えて、『♯ ハッピー・バースデイ・トウ・ユウ ♭』と、家内といっしょに歌ったたところです。格言に、

   『あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ!』

とあります。『寡黙で我慢強い 』と言われる山陰出雲で生まれた母は、まさにそういった気質の女性でした。父と出会って結婚に導かれ、私たち四人の男の子を産んでくれたのです。ガスコンロも炊飯器も洗濯機も水道も無い時代に子育てを始め、病む子を看病し、兄弟げんかを仲裁し、悪戯で呼び出されると謝りに学校や警察に出かけ、はらはらどきどきの連続の年月だったに違いありません。今は、すぐ上の兄の家で、愛され世話されて、元気に毎日を過ごしております。『食欲もあって、元気!』と、兄からたびたび連絡があり、『最近物忘れが・・・』とのメールもありますが、しっかり兄夫婦で面倒を見ていてくれますから、心配しておりません。遠く離れてしまった私は、孝行する機会が無いことを申し訳なく思うのですが、こちらからの思い以上に、病弱だった幼少期の私を忘れられない母にとっては、いままだ愚生、心配の種なのかも知れません。そのことを思い返しますと、「・・・自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。 ・・・」と言う勧告が思い起こされてまいります。

 『今のときを楽しく感謝して過ごしてほしい!』、そんな願いを海の向こうの母に、インターネット回線(スカイプ)を使って伝えてみたのです。これって、親孝行になりますよね。




(写真は、《「出雲の阿国」前進座劇場・公演》と、《紀行写真集・山陰》の「出雲・日御碕(ひのみさき)」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。