2009年3月8日日曜日

黒猫と三毛猫との別れ


 「タッカー」と「スティビー」、二年半前まで、我が家で飼っていた猫の名前です。飯田の街角の捨て猫を、次女の主人が拾って飼っていた猫でした。最初の年、オスの黒猫、次の春にメスの三毛猫に出会って、『ニャーン!』と呼びかけられて、ニャンともしがたく抱き上げたのだそうです。そう、やさしいのです。二年の予定で、次女夫婦は、県立高校の英語の補助教師(JETプログラム〈The Japan Exchange and Teaching Programm「語学指導等を行う外国青年招致事業」〉で来日)を始めたのですが、県教育委員会に頼まれて、もう一年を南信濃で、働いていたのです。日米のマネージメントの違い、教頭や教科主任などの在り方、生徒や教科指導の違いなどに悩まされながら、それでも日本方式への理解を深めた三年だったようです。

 生徒たちの訪問、同僚の先生たちとの付き合い、食事に招いたり招かれたりの交流、大鹿村の伝統歌舞伎の鑑賞、地域の人たちとの接触など、多くの異文化体験で忙しく過ごした年月でだったようです。特質すべきは、彼らの長男が飯田市立病院で生まれたことでしょうか。私たちにとっては初孫になりますが。私が大ケガの手術とリハビリを経て、病癒えて、初めての家内ととも旅行をして、熊本に友人を訪ねたときでした、『お父さん、男の子が生まれました!』と次女が、新しい命の誕生の喜びを知らせをくれたのです。その孫の誕生は、ケガで落ち込んでいた私には絶大なる励ましでした。

 その次女夫婦が飼っていた二匹の猫を、帰国する彼らが連れて行けなくて、私たちが引き取ったのです。私は犬好きで、根っからの猫嫌いでした。ところが次女が連れて来ている間に、嫌いな私が猫好きに変心してしまったわけです。次女夫婦や孫が可愛いように、猫たちも可愛くなったのですから、不思議なものですね。

 今度は、私たちが日本を離れて、中国に行くことになってしまったのです。『タッカーとスティービーをどうしよう?』と言う大きな課題に直面したのです。やむなく、愛護センターに連れて行き、実に悲しい別れをしてしまいました。その二年半前の大きな犠牲を思い返していますと、隣家の三毛猫が、私を見ては、『ニャーオ!』と鳴くのです。私たちの今を知ったなら、二匹は赦してくれるに違いありません、きっとそうですよね・・・ねっ!

(写真は、《心葉スケッチblog》の「黒猫」です)

0 件のコメント:

Powered By Blogger

自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。