『その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言・・・』
『なんて愚図なの、まったくお父さんに似て!』と言う出来るお母さんと、そう言われてしまう出来の悪い息子のお話です。『自分に似てくれたらいいのに!』と思ってみても、子どもというのは、父親の良い点と悪い点、母親の長所と短所とを、それぞれ4分の一は受け継いでいるのですから、おっとり構えた、機敏性に欠ける「牛のような子」には、ほとほと嫌気がさして、頭を抱えて悩むお母さんが、意外と多いのではないでしょうか。男だったらお父さんになれるのですが、女に生まれたのですから「お母さん」をしなければならないのですね。
そういう何人かのお母さんに、これまで会ってきました。頭の回転が速いので、子どもが考える前に、先を読み取って指示を与えてしまうのです。子どもには頼りがいがあるわけです。ところが子どもが幼くて小さなときは、それでもよいのですが、思春期の危機に突入した子どもは、お母さん抜きで行動しようとの《自立心》が芽生えてくるわけです。でも、自立の訓練の時期を得ていませんので、願いと現実のはざ間で迷って困惑し混乱してしまうのです。それで登校拒否や家庭内暴力や非行の路に入っていく事例が多いのでしょう。お母さんのテリトリーから抜け出した息子の別の問題で頭を抱えて、お母さんがやって来られたのです。
私の母親は、そのようなお母さんのように賢くなかったので、ただほど良い距離から四人を見守り続けていたようです。『いつでも困ったら帰っておいで、あなたのいられる場所を残してあるからね!』と思いながらでしょうか、ただ愛だけを注いでくれたのです。糸の切れた凧のように、虚空を彷徨って苦悶していた青春真っ只中の私を、何かに任せていたのでしょうか、あわてなかったのですね。時期が来て、母港に帰還する船のように、出来の悪い息子は戻ることができたのですから。「彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない・・・」、そんな母に向かって、「その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言・・・」うのですが、そう言わなければならないのは、この出来の悪い息子の私であります。
(写真は、《春日部大凧あげ祭り》の「大凧」です)
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