2009年3月20日金曜日

『今日は春分の日ですね!』


 『今日は春分の日ですね!』と、学生に言われて、『あっ、そうだったね!』と答えたのですが、すっかり忘れていました。今日は日本ですと旗日で休日だったのですね。愛読していますブログには、『東京湾に近い都立猿江恩賜公園の櫻の蕾は数日で2倍に膨らみ、先端は緑色になった。週末か来週初めには開花するんじゃないか (18日)」とありましたから、また一段と膨らんでいるのではないでしょうか。こちらでも、街路樹の木々に赤やピンクや紫色の花が、いっせいに咲き始めています。日本ですと、徐々に、段々といった感じなのですが、いっぺんに咲き出す様子には、まだ慣れないでおります。真冬だって草が枯れてしまって、木の葉がまったく落ちてしまう冬枯れがなく、いつも通る路沿いには、ハイビスカスの花が咲いていますから、季節感に戸惑いを覚えてしまうのです。

 滝廉太郎が作詞しました「春」には、

春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき

見ずやあけぼの露浴びて われにもの言ふ桜木を
見ずや夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を

錦おりなす長堤に くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の ながめを何にたとふべき

とあります。「うららの春」とは、「麗(うら)らかな」と言うことばなのだと思いますが、長閑(のどか)で、揺蕩(たゆた)うとしている季節感なのでしょうか。うーん、それは四季の移り変わりがはっきりしている日本で、春先に感じることのできる「感覚」なのですが、眠気を誘ういまどきに違いありません。『春を見つけに行ってきます!』と出かけて行った子どもたちが、手に手に、野の草や花を握って、『春を見つけてきたよ!』と勇躍帰って来た日々が思い出されます。「・・・げに一刻も千金の ながめを何にたとふべき」、さて、何にたとえたらいいのか、辺りを見回すのですが、あの繊細な季節の動きを見つけることが、ここ福州でも出来るのでしょうか。国土が広大なので、自然も大きく大らかなのですが、「時に感じて 花にも涙を濺(そそ)・・・<杜甫・春望>」いだ詩人のような目さえあれば、きっと見つけられるのではないでしょうか。

 「見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています 」

(写真は、《DISCOVER TOKYO》の「菜の花」と「桜」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。