2008年8月4日月曜日

独立を祝って開花した一輪の花


 『野の花のごとく生きなむ』と、私の恩師が、色紙の真ん中に書いてくれました。卒業ゼミの寄せ書きでした。寒い冬が過ぎて、春の到来を知らせてくれたのは、獄舎のコンクリートの窓格子の隙間から見えるわずかの土の中から、一輪の野の花だったそうです。治安維持法違反の容疑で収監されていた、囚われの身には、どんなに大きな慰めだったことでしょうか。その咲き出た花に、一縷の希望を繋いで生き延びて、戦後まもなく自由の身にされて、学究の世界に復帰されたのがA 先生でした。この方に教えられたのです。厳しい閉ざされた時代を否応なしに通される中で、名の知らない野の花は、『生きよ!』と、わが師を励ましてくれたのでしょうか。そとても重い述懐のことばでした。

 『ねえみんな、バラや向日葵の花のように華やかで艶やかでなくってもいい。誰にもほめられないで、見てももらえなくてもいい。天に向かってのびのびと咲いて、短い生涯を終える運命の野の花のように、みんなには生きて欲しいんだ!』と、恩師は言いたかったに違いないのです。   

 先月の中旬に、こちらに越した明くる日、裏に10坪ほどの庭があるのですが、その右の奥の隅に、土盛りをした花壇のような、ゴミ捨てのような土の中から、「歓迎」の思いを込めてでしょうか、一輪の花が咲き出したのです。何の花でしょうか。これまで1部屋の家に住んで、何かと不自由を感じていたのですが、友人の同僚が、貸してくださると言うことで引っ越すことが出来た家の庭の片隅の出来事でした。亜熱帯気候ですから、咲く花の色も強烈ですし、熱射を浴びながら咲くのですから、逞しいのが、こちらの花です。そんな花のように、福州の人々は、逞しく生きておいでです。どんなことが起こっても驚き騒がないで、実に飄々として、明日に希望を繋ぐことが上手なのでしょうか、クヨクヨしないのです。疲れれば、日陰のコンクリートの上にゴロリと横になって寝てしまうのです。午睡の習慣があるからです、体を横に出来るところなら、どこでも寝られるのです。初めて目撃した時には驚かされましたが。

  「明天的事明天再説バ(口扁に巴)」 、すべき事は、まず寝てしまうこと。起きたら起きた明日のことにして、やって来る日を、精一杯生きていこうと決めているのに違いありません。五十になって、子どもが自立して家を出て行ってしまったら、何を考えたのか、『老後をどう生きたらいいのでしょうか?』と心配を先取りする日本人を知っているのです。そういった方は、『こちらに来て見たらいい!』と思うこと仕切りです。ウツ病患者が3人に一人の日本にとって、ウツになりにくい事例が、ここ中国には五万とあります。『何をどう伝えたらいいのか?』、『こんなこと言ったらどう思われるか?』を考えてでないと言葉に出来ない私たちですが、こちらの方は、大声で思いに浮かんできたことを単刀直入に、しゃべり始めているのです。電車の中だろうが、バスの中だろうが、間に人がいても、どこでも当たりかまわず、しかも大声で話をしています。豊かな感情の表現能力、と評価したら、それは迷惑ではありますが、話し手にとってはいいことに違いありません。クヨクヨ考え込んでいる人って、ほとんど見たことがないほどです。こんなに大らかな国民性は、日本では見たことがありません。数千年の間、紆余曲折、さまざまな経験を強いられてきて、開かれる時代や環境の中で、上手に順応されて生きていくことを培われた国民と言えるのではないでしょうか。

 精神的に追い詰められて、知人を頼って、こちらに来られた日本人女性が、『ここって私に合っているんです!』と言われて、水を得た魚のように生きておられるのを、何人も見かけています。周りに気兼ねしなくってもすむからです。小さなことにこだわらないですむのです。思った様に、感じた通りに生きれるのです。人の顔色なんか窺わなくっても構いません。日本に比べて、比べられない自由があることになります。旧日本軍の新兵が上官命令で、「刺突(試し切り)」をさせられて、実際に中国の方を切ってしまいました。拒めなかったからです。その兵隊が、2005年に、山西省のある村を訪問しました。殺されるか袋叩きにあうかを覚悟したのですが、生き残った旧解放軍兵士に、『昔の日本軍を憎んでいるのであって、決して今の日本人とか、日本人、あなたを憎んでいるわけではない!』と言われて、驚きを新たにされています。恨みや憎しみを過去のこととして片付け、そういう風に言い表せるのが、この中国のみなさんなのです。心の広さなのでしょうか、その寛容さは敬服の至りで、驚愕の極みであります。

 そんな広く豊かな心をもてたら、きっと「野の花」のようにも生きていけるに違いありません。先週、次男が、『会社を辞めました!』と家族一人一人に報告してきました。培ってきたノウハウを活かして独立を決断したからです。その知らせを聞いた翌朝、また一輪、裏庭の片隅で例の花が咲きました。息子の独立を祝うかのような開花だと思わされたのです。『誰にもほめられないでもいいから、よい花を咲かせて、誰かに喜ばれる花となるように!』と願う、福州の空の下の父であります。 

(写真は、次男の独立宣言の明くる朝に、裏の庭の隅で咲いた一輪の花です)



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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。