2008年8月24日日曜日

『過去は変えられないが、未来は私たちの手の中にある』


 辞書で「卑屈」を調べると、『必要以上に自分をいやしめて、他にへつらうこと。おどおどしていていじけていること(大辞林)』とあります。一方、「謙遜」は、『自分の能力・価値を低く評価すること。控え目に振舞うこと(同)』とあります。大東亜戦争後の日本人を評して、『卑屈になってしまった!』と言われる方があります。すっかり反省し、しっかり謝罪したのなら、もう言い訳はしないし、繰り返さないことです。60年以上も、武力によって他国を侵略しなかったのですから、反省と謝罪は本物だと、世界中から評価されております。だったら、過去に拘泥しないで、すっくと頭を上げて、これから二度と再び過ちを犯すことなどないのですから、もっと積極的に、世界平和に貢献し続けていくべきなのです。最も被害を及ぼした隣国に対しては、謝罪をし、戦争後今日まで、経済的財政的援助と言うかたちで補償を積み上げてきております。その補償があって、いくつもの国の今日の経済的繁栄があるのですから。



 もう過去に怯えて、おどおどしなくていいのではないでしょうか。しっかりと詫びたのですから、必要以上に卑しめたり、へつらったりしないでいい時期を迎えているはずです。今、必要とされているのは、勤勉で、飽くことの無い技術革新に精出し、経済大国になった日本は、控え目に振舞うべきです。得た富を、もっと世界のあらゆる面の開発に還元し、環境上の必要のために地球規模の保全に貢献すべきではないでしょうか。儲けさせて頂いたのですから、その相手国に対して、あらゆる必要を丸抱えで覚えていくのは当然なことであります。

 私は父の世代の戦争責任を感じて、お隣の韓国や中国や東南アジア諸国との関わりについて、若い頃から考えてきました。それで、韓国語やインドネシア語を学ぼうとした時があったのです。ところが12年ほど前に、知人に誘われて中国の4都市を訪問する旅行をいたしました。その1つの街に行きました時に、『日本は中国と中国のみなさんに何をすることが出来ますか?』とお聞きしましたら、『お金が欲しいのではありません。よかったら中国に来てください!』と言われたのです。帰国しましてからの十数年,その語られた言葉がこだまのように思いの中に響き続けて参りました。米国人実業家から引き継ぎました事業に従事し、社会的な責任がもあって、それに励んでおりました。でも、六十を期して、第二の人生を始めたいとの願いが、ふつふつと湧き上がってきたのです。それは、退職後の片手間仕事ではなく、双六の上がりのように、自分の「人生の仕上げ」にしようと思い立ったのです。それで、『よし中国に行こう。中国語を学んで、その現地の言葉で、戦争責任をお詫びをしよう!』と決心して、2006年の夏に中国にやって来たのです。やって来まして、何度か、『ごめんなさい!』と過去を詫びる機会がありました。そうしますと一様に、『あの戦争はあなた責任ではありません。あなたが詫びることではありません!なぜならあなたには関係が無いからです!』と言われるのです。と言うことは、《過去のこと》にではなく、《これからの事》に、心の思いを向けるように促されたことになります。『謝罪を言葉ではなく、生きて証ししてみたらどうですか!』と言われた様でもありました。

 軍属として軍需産業の責任を担っていた父、その父の1つの働で爆撃機が製造され、多くの国々を空爆をしているのです。福州の街の隣の海沿いの町には、日本軍の飛行場があって、そこから飛び立った飛行機が、中国の多くの町々に爆弾を投下したのです。『この福州も空爆され、数百人の人命が奪われているのです!』と聞きました。その父の腰から出て、軍から支給される金品によって育てられた自分、と言う負い目を担っていたです。それとて、確かに私の責任ではないのですね。ですから、中国のみなさんから、『そんな過去に拘って生きる必要は無いのでは!』と言われたわけです。自分では謙遜のつもりでしたが、こちらのみなさんには「卑屈」に見えたのかも知れません。過去に怯え過ぎて、本末転倒して来たかも知れません。ノーベル平和賞作家のエリ・ウイーゼルと言う人が、次のように言っています。

 『過去は変えられないが、未来は私たちの手の中にある。無関心ではいけない。無関心が常に加害者を助ける』

とです。『変えられない過去よりも、関わることの出来る未来のことに目を!』と言っているです。



 過去に拘らない中国や韓国の若者の驚くべき活躍に目を見張った、この2週間でした。プロ野球選手で編成した日本の「数十億円集団」よりも、韓国チームのほうが、踏ん張りを見せ、実力以上の力を出し切ったのは、過去をばねにして培った底力だったに違いありません。陸上競技のスタートラインに並んだ国同士が、ゴールに向かってひたむきに走るように、勝つためではなく、次の世代に夢を繋ぐために、友情の絆でしっかりと結びつき、助け合い刺激し合って、明日のアジアを築き上げていって欲しいと思うのです。もう観客席に場所を移された世代の私たちもできることがあるのです。だったら、『平和や友好に貢献していきたい!』と心から願いたいのであります。そのためにも、しっかりと歴史を踏まえる必要も感じさせられております。まだまだ、すべき事と機会、学ぶべきことが多くありますから、残された気力と願いのある間に実行したいものです。オリンピック北京大会の「閉幕式」のテレビ鑑賞に、また誘ってくださった友人の好意に感謝しながら。


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。