2008年8月5日火曜日

蚊と蟻との攻防



 何十年ぶりでしょうか、蚊帳をつりました。畳の上に布団を敷く日本とは違って、寝台で寝る習慣のある中国では、寝台用の蚊帳があるのです。中国映画などでご覧になったことがあるでしょうか 。知人が一張り下さいました。引越し先に、緑の樹木が多く、花壇や生垣があるのは、その反面で蚊が多いと言うことになります。大家さんの話ですと、『実は、ここは蚊の多いところなんです!』と言っておられましたが仰るとおりで、蚊に好かれる私には脅威でした。越してきました晩、案の定、今までの生涯の中で、一番蚊に悩まされた夜だったのです。子どもたちを連れて海水浴に行ったときに伊豆のキャンプ場に泊まりました。隣がゴミ置き場で、そこでも蚊に一晩中、襲われたことがありましたが、それをしのぐほどの蚊の攻勢でした。ウナを日本から持ち帰っていましたから、一晩中塗り通しでした。こちらの蚊は、日本のようにヤワではないのです。体格がとても大きく、刺すときも、チクリなどではなく、ブスッツと言う感じです。それで耐えられなかった私は、降参の手で蚊帳をとうとう吊ったのです。

 ほとんどの日本の家屋では、今では、窓がアルミサッシで、網戸がついています。ところが私たちの子ども時代には、網戸などありませんでした。蚊がいなかったのではないのです。衛生環境からすると、当時のほうが蚊には居心地がよかったに違いありません。それなのに、刺されて痒かった思い出がまったくないのです。栄養事情がよくなかったのでしょうか、まだ血がアルカリ性だったのでしょうか。それでも夕方になると、母が蚊取り線香を点していたのを覚えています。父の家は、冬場を除いて、窓も戸も玄関も開けっ放しでした。防犯の意識など皆無でした。男が四人、父を入れて五人でしたから、誰も押し入る者はいなかったのです。いえ、それは見当違いで、守られたに違いないのです。まあ当時は、どこの家も空けていましたし、錠を掛けることなどしなかったのです。廊下から家の中に上がっていく、自分の家だけではなく、隣の家でもなのです。そんな時代でした。



 

 夜になると みんなで大きな畳ほどある蚊帳を布団の上で開いて、その角を4人でもって、部屋いっぱいに吊ったものです。兄が蚊帳奉行(!?)だったでしょうか。パタパタと裾をはらって中にパッツと入るわけです。ただ子どもの頃の夏の夜は、暑かったように思い出すのですが。もちろんエアコンも冷風機も扇風機もなかったわけです。それでも日中の暑さに、閉口したことはありませんでした。多摩川で日柄泳ぎ、学校のプールにも入り、駅前の銭湯の初湯にも入ったりしましたし、西瓜もアイスキャンデーも美味しかったのです。じりじり照り付けられても今のように、『死ぬほど暑い!』と思いもしなかったのは、みんながそうだったからでしょうか。

 さて、とびっきりの福州の暑い夏も八月なりました、『体感温度が中国一暑い福州!』と、昨年、聞きましたから、先日帰国された友人からのメールに、『気になるのは8月の暑さです。私も去年は6週間帰国していましたので、体験しておりませんが、40度の世界だそうです。どうかくれぐれもお気をつけになられて、お元気でいてください。』とありました。蚊にさされることと同じように、わが生涯最多の発汗量を、今年は記録更新するに違いありません。帰国された知人がもう一人おいでですが、彼の出身地は旭川なのです。どんなに暑い日があっても、夜は涼しいに違いありません。北国も夏は羨ましい限りですが、『暑い夏には暑いなりに汗をたくさんかくのがいいのだ!』とさせて、ひとしきり我慢の子でいなければならないようです。

 ところが一昨日、起きましたら、左の大腿部にかまれた後が無数にあったのです。今度は蚊ではなく、どうも「蟻」の仕業でした。初めは痒くなかったのですが、じりじりと痒みがますのです。蚊帳は蟻の侵入を阻止できなかったかも知れません。蚊には蚊帳が有効ですが、ほかの虫には役立たずだと言うことが分かったのです。『攻撃は最大の防御!』と運動部で習いましたから、兵法の書でも読んで攻撃の作戦をしなければならないのです。ちょうど、書庫の中には、中国語の「孫子」があります。これに学ぶ必要が、どうもあるようです。先住の虫たちと戦いに明け暮れる、福州の眠られぬ夏の夜であります。

(写真はhttp://kenko-kaya.com/のHPからです)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。