2008年8月16日土曜日

お腹ではなく、心が満たされるテーブル


 結婚祝いに頂いた物が、たくさんありました。多くの人たちが、私と家内の新生活を祝福してくださったのです。それらの中で、最後まで残った物が1つありました。28年ほど前の明け方に、当時住んでいたマンションの上階で火災が起きました。娘たちが、よく上がりこんでは、お菓子をもらっては遊んでいた若いご婦人の家が 出火、その事故で彼女が亡くなられたのです。そのもらい火と消火活動の放水とで、階下の我が家のほとんどの物が消失し、水浸しになり捨ててしまいました。爆発の大音響と窓の破裂と火の中から、3人の子どもたちが、奇跡的に守られました。家内のお腹には間もなく生まれようとしていた次男もいたのです。その火と水とをくぐって、残された物の1つが、その「テーブル」でした。それは、まだ十分に使えたのですが、一昨年の夏、こちらに参ります前に、思い出とともに涙ながらに捨ててしまいました。  

 子供が4人いましたし、一時は、その他に3~4人の方が同居していましたから、このテーブルの上に、ベニヤの厚板にニスを塗って加工した物を載せて、それを、みんなで囲んで食事をし、談笑してきたのです。10人は座れました。イスだけは代替わりをしましたが、 テーブルは35年も前の高級品でしたから、実に堅牢だったのです。


 捨てる決断をした時、そのテーブルを囲んだ人たちの顔を思い出したのです。ある時、自殺 しよう決心して、私たちの家の前を通りかかった方が、ふと目を上げると灯がついて、中から歌が聞こえたので、誘われるように玄関をノックされたのです。迎え入れたのは若い女性で、事情を知った家内と私は、一緒に住むことを勧めたのです。それを願った彼女は、私たちとの共同生活で、日に日に元気になっていか れ、市内の愛児園の手伝いをするようになられました。大変に気の効く方で、その園では喜ばれたのです。その後、数年私たちと一緒に生活をしたのです。すっかり元気になられて、愛知の実家に帰って行かれました。彼女も、私の家族とそのテーブルを共に囲んだ一人でした。ある時、非行を犯して鑑別所にいた少年を 引き取りました。彼と彼のお姉さんも、しばらくそのテーブルを囲んだのです。シンナーの常習者で、子どもたちが怖がってしまったので、最後まで面倒をみられないままで終わった方たちでした。離婚を決意して相談に来た方も、お嬢さんのいじめで苦しまれて相談に来られた方も、お金を借り
に来た友人も、このテーブルに着いたと思います。 また私たちを激励に来てくれた、友人や母も兄も弟も、義母も義姉妹も義兄も、そのテーブルについたのを思い出します。  

 35年と言う年月は、実に長いものであります。私たちも、また多くの友人や知人の家に招かれて、彼らの家族と一緒にテーブルを囲ませていただきました。たびたびお招きくださった方が、静岡県下にいました。ご馳走はそれ程ではなかたのですが、彼の家族と私の家族が共に、一つのテーブルを囲んだ時、何ともいえなく暖かかったのを思い出すのです。 彼らの語ることばで心が
いやされたり、振る舞いで励まされたり、勇気付けられたりした、祝福のあふれたテーブルでした。   

 この二月に帰国しました折に、そのアメリカ人実業家のご子息夫妻が、家内と私を招いてくれました。お父さんはすでに召されておりましたが、ご夫人は健在で、彼 と一緒に暮らしておいででした。そのテーブルのたたずまいもまた、お父さんの時代を髣髴とさせるものでした。お子さんたちはそれぞれに家庭を持たれておいでで、次男のテーブルは、簡素なものに代わっていました。そこに彼の夫人と二人のお子さんとお母さまが着き、彼の友人たちも同席していました。そこで動いている心の優しさともてなしとが、お父さんのテーブルと同じだったのです。時は過ぎ、世代は移り、人も変わります。でも、人をよくもてなす心を受け継がれた彼のテーブルも、多くの人が招かれ、心が癒され回復している祝福の場であることを知らされたのです。  




 今、家内と二人で囲む、借り物の小さな折り畳みのテーブルも、多くの友人たちを招き始めています。これに着かれるお一人お一人が、あの優しさに触れた 私たちのように、心が癒され生きていく勇気が与えられるようになって欲しいと心から願う、大稲妻と轟くような雷鳴と大雨の夜の明けた、静かな週末であります。


(写真は、多くの人と囲んだテーブルで、ある正月に家内が、帰ってくる子どもたちのために作った「おせち」がのっています。下は、福州の家で使っています借り物のテーブルです!)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。