2008年8月17日日曜日

稲妻と雷鳴の一大絵巻



 都都逸でしょうか、『雷さんは粋な方だよ・・』と言う歌いだしの歌詞を聞いた覚えがあるのですが、日本で聞いた雷鳴、見た雷光、濡れた雷雨は、「粋」に感じることが出来るかも知れません。十数年前になりますが、新潟に参りましたときに、五月でしたが、にわかに空が薄暗くなったかと思うと、『ピッカッツ!』と稲妻が日本海の上に走ったのです。すぐに『ゴロゴロッツ!』と雷鳴が轟いて、夕立になりました。『弁当忘れても、傘忘れるな!』と言うことわざがあるほど、越後地方の海岸線は雨が多いところだと聞きました。関東平野の西にある町で育った私にとっては、日本海側の雷体験は初めてのことで、より男性的で激しいのに驚かされたのです。  ところが、昨年、福建省の福州に参りましてから、二度目の夏を過ごして感じる1つのことは、こちらの「雷」が尋常ではないと言うことです。《轟き渡る》と表現するのが一番よいのではないかと思うのですが、腹の底、腎臓でしょうか、そこに響いてくるような大雷鳴なのです。西から東に、南から北に縦横に鳴り続けて駆け渡るかのようです。まるで音が綱渡りをしているような音響なのです。大きな空全体が大太鼓でもあるかのようなすさまじい音をたてていきます。雷光の稲光も半端ではないのです。雷が、背中にいくつもの太鼓を背負いながら、小さな鼓を打っている光景など、幼稚園の絵本の中のことです。エベレストほどの背丈のある大男が、青海湖かカスピ海ほどの太鼓を、ヒマラヤ杉で連打しているような大音響ではないかと思わされました。

 夕べは眠るのを忘れて、ガラス窓から空を見上げて、雷の大演奏に聞き入り、瞬間にあたり一面を照らし出す装飾のような雷光に見入ってしまいました。あの演出の素晴らしかった「北京オリンピック・開幕式」は、中国の英知の粋を傾けたものでありましたが、昨晩の「雷演奏会」は、太古からの自然の演出でありました。6尺に満たない背の私が、芥子粒ほど、蚤ほどに感じさせられるほどの一時で、天を仰いだまま、平伏せざるをえませんでした。
 




 そんな夜空を見上げながら考えていたのですが、こういった人間では抗しきれない自然の力の前に、数千年の時を過ごしてきた中国のみなさんの「強さ」を感じたのです。ここでは雨の降る量だって半端ではありません。寒さも暑さも、四季の移り変わりの鮮やかな箱庭のような日本の自然の厳しさとは比べられないのではないでしょうか。照れば飢饉、降れば洪水、揺れれば大地震、自然に抗し切れない、人の弱さや限界を知らされて来たのでしょう。蒔いた種を刈り取ることが出来ないで、全部を持って行かれても、『来年は大丈夫だろう!』と、明日に目を向けて、何もない中を地にへばりついて生きてきたのでしょう。『クヨクヨしない大らかさ!』、これがこの2年、ここ中国に来て、中国のみなさんから感じていることであります。収穫期に、兵役にかり出され、畑を戦場にされ、火で焼かれ、収穫物を奪われ、その繰り返しの歴史だったのではないでしょうか。新しい土地に活路を見い出して、一家で一族で移住して来たのでしょう。無くなった物に
ではなく、残された命や物や家族に目を向けて、やり直して生き続けてきたに違いありません。

 

 雷鳴の轟きを聞き、稲光に驚かされ、雨脚の強さの一大絵巻に目を見張りながら、中国のみなさんの「懐の大きさ」、「クヨクヨしない逞しい生き方」、困ったときは互いに助け合い、励まし合う「仲間意識」、そういったものを感じさせられた、昨晩でした。こういった人々のうちに流れている血が、自分のうちにも流れているのだと、改めて感じさせられもしました。

(写真は、「東京・大手町から秋葉原方面に見えた雷光(2008年8月MSNニュース)」、中は、米コロラド・教育サイトhttp://ccc.atmos.colostate.edu/%7Ehail/cool/lightning/pages/lightning7-7-2001.htmから、下は、近所の高層アパート建設現場で炎天下に働くおじさん


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。