2007年5月31日木曜日

冷たい水のような消息


 海を渡って行くのが、渡り鳥や黄砂ですが、海を渡ってくるものもあります。「うわさ」です。私の父の日記帳には、「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。」とあります。愛する家族や懐かしく親しかった友の「良い消息」を聞くと、喜びが心を満たしてくれます。『娘が生まれました!』、『孫ができました!』とか言ってきてくださると、どんなに喜びで満たされているだろうかと思って、こちらも喜ぶことが出来ます。それらが励みや鼓舞となるのは感謝なことです。それはまるで、灼熱の太陽の下で渇いた旅人が、オアシスのこんこんと湧き出る泉に口をして、渇きが癒されるかのようです。

 また、「その人は悪い知らせを恐れず、○に信頼して、その心は揺るがない。」と、父の日記帳にあります。これは「悲しい知らせ」や「辛いニュース」のことでもあるのでしょうか。ご自分や姪御さんが、『病気になりました!』と、心を開いて知らせてくださるのです。その日記帳の中に、「河の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は、諸国の民をいやした」とあります。病と対峙して、全く平常心で生活をしていることを知って、その強さにかえって励まされます。祝福を願うばかりです。『愛する母を亡くしました!』と言う知らせもあります。心からの同情を覚えるのみです。

 悲喜こもごも、私たちの人生には、願うことも願わないことも起こりえます。何が起こっても、すべてを知られるお方の許しの中に起こるのです。良い知らせを聞いたら共に喜び、悲しい知らせを聞いたら共に嘆き、涙を流し、慰めたり励ましたりさせていただきたいのです。

 また、聞くべきでない「うわさ」を耳にしたら、耳をふさいだらいいのです。そう噂する方の心を思って、分かってあげたらいいのです。耳が2つあるのは、聞いた耳の反対側から、放り出したらいいように造られているに違いありません。

 ある人が故郷の荒廃を耳にしました。「美の極み」と言われた故郷の現実に涙した彼は、切々として故郷に思いを馳せたのです。それは城壁や建物が崩れ落ちただけではなく、人々の心の荒廃の酷さを知らされたのです。彼には分かっていました。それで彼は「故郷の罪」を自らの罪として告白して、「赦し」を懇願したのです。

 「故郷は遠くにありて思うもの」と室生犀星が詠みましたが、21世紀の私は、海を隔てた故郷の知らせを、インターネットのニュースやメールで知らされています。その荒廃は驚愕の至りです。社会が病んでいるというよりは、人の心が病んでしまっているのでしょうか。癒され治るのでしょうか。

 故郷や愛する家族や友や友人や知人の「喜び」と「悲しみ」の知らせに耳して、私はただ、切に恩恵を願うのみであります。故郷の初夏の空を思い出しながら。

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。