2007年5月15日火曜日

「改憲」に反対する!


 『無礼者。そこになおれ!』と言って、武士が人を切ることが当然とされた時代がありました。ある時、島津斉彬の参勤交代の大名行列が、横浜と神奈川の間にあった小さな村を通りかかりました。その行列に無礼を働いたと言って島津藩士が、イギリス商人の4人の一行に向かって、有無を言わさないで抜刀して切りかかり、殺傷してしまったのです。殺されたリチャードソンは、立派な青年だったそうです。それは、大きな国際問題となりました。日本史で学んだ、あの「生麦事件」のことです。

 中学の歴史の時間に、私の担任が、「日本人の特質」を語ってくれたことがあります。『日本人は、兵隊になるのに一番ふさわしい民族です。自分が死ぬことを恐れないこと、野蛮な心を宿していること、上司の命令への服従心に長けてること。それで、世界のどの民族よりも、兵隊に向いているのです!』とです。きっとご自分の軍隊経験から、正しい歴史観にたたれて語られたのです。これからの国を支えて行くであろう、私たち中学生に、戒めを与えて、教えたかったのでしょう。

 教えられたからではなく、私自身が、そうだと思ったことがあります。ケンカが好きで、殴られても立ち向かうことができ、血が流れても恐れず、相手が大きくても闘争心を燃え立たせ、死を恐れない野蛮性が自分の中にあることが分かるのです。そのような私が、この40年ほど、ケンカをしないで生きてくる事が出来ました。なぜかと言いますと、『剣を取る者はみな剣で滅びます。』との戒めを聞いて、身を律して守ってきたから、いえ、そう言った怒りを爆発させないで耐える力を付与された、と言うべきでしょうか。

 日本は、明治以降、国として何度も戦争をしてきました。富国強兵政策の下にでした。ところが敗戦以来、この60数年の間、私たちは、剣を取ることなく、他の国を侵略することなく、自国と他国の平和を守って、生きて来たのです。これこそ奇跡ではないでしょうか。

 この奇跡に大きく貢献したのが、「平和憲法」だったのです。『二度と戦争はしない!』との戒めを、辛い失敗体験を通して、身にしみて諭されたから出来上がったものなのです。私は、憲兵や特高警察に会ったことがありません。彼らが何をしていたかは知っています。また、私の職場に、陸軍中野学校出の上司がいました。暗い過去を背負っているように見え、それを忘れたくてでしょうか大酒飲みで、心の奥をのぞきき込むような鋭い眼光をしていました。怖かった!

 私は懸念しています。とても心配です。大変危惧しています。この「平和憲法」が改憲されたら、また、あの時代がよみがえるからです。『ノー!』と言えない時代がやって来て、国家権力を守護者としてではなく、強権発動者・支配者として見ることになる、きっと、そうなるからです。

 中国や韓国のみなさんは、『またやるだろう!』と思うに違いありません。孫たちを、戦場に侵略者として駆り立て、泣く親やジジババを作って行くことでしょう。『阿部さん、あなたの孫を戦場に、しかも最前線に征かせて戦わせますか?』

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。