2007年5月6日日曜日

菖蒲湯


 昨日、「子どもの日」に残念だったことがひとつあります。それは「菖蒲(しょうぶ)湯」に入ることが出来なかったことです。親爺が生きていた頃、我が家では、季節に合わせて、「柚子湯」とか、「菖蒲(しょうぶ)湯」などが沸かされ、季節感を味あわせてもらえたのです。日本のような気候の国では、入浴が習慣的に行われ、隣近所でもらい湯に行ったり、来たり、大きな家のおきな風呂に招待されると言った風習が残っていました。町には、「銭湯」が何軒もあって、家に内風呂あるのですが、わざわざ近所の遊び仲間と申し合わせて出掛けて行っては入ったものでした。

 いつも行く銭湯に、同級生の女の子がお父さんと一緒に入ってきて、目を見合わせて、お互いに何とはなしに自然に下の方に目をやって、恥ずかしかったことを思い出します。男ばかりの兄弟の中で育ったので、珍しかったのですが、恥ずかしいのが先でした。もう彼女も、何人もの孫に囲まれたおばあちゃんをしているのでしょう。

 束ねた菖蒲が、お湯の中に浮いていました。この葉が、刀に似ているのと、語呂合わせが、「勝負」や「尚武」であることから、「鯉幟」を五月の青空に上げて、子どもの無事と成長とを願うのと同じように、「勝負に勝てる子どの成長」を、入浴を通して願ったようです。親爺も母も、私たちにそれを願い、銭湯の叔父さんも、贔屓の子に、そう願ったからなのでしょうね。情緒があり、風情が豊かだった時代が、とても懐かしく感じられます。

 お風呂と言えば、母の育った家の本家が、出雲市郊外にありました。その家に行った時に、いわゆる「五右衛門風呂」に入らせてもらったのです。すのこが浮いていて、その上にのって沈むのですが、上手にのれないで苦労したのを思い出します。もうああいった手間のかかる風呂は無くなってしまったのでしょうか。また層雲峡の大きなホテルに、修学旅行で泊まった時に、生まれて初めて、プールの様な大きな風呂に入りました。16の時でした。ところが、そこに同世代の女子高生の一群が入っ来たではありませんか。なんと混浴だったのです。男女交際のうるさかった学校としては、実に粋なホテル選定をしてくれたものでした。

 賢きお方は、男と女とに「人」を創造されたのですね。小学生の私にも、高校生の私にも、その創造の神秘への理解は足りませんでしたが、お互いが、かけがいの無い被造物であることだけは事実なのです。このお方を畏れるなら、健全な異性観に立つことが出来るのです。

 それでも今日日の子どもたちが、「菖蒲湯」によってだけではなく、堅実で健全な心を宿した人とならんことを願って。

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。