2007年5月23日水曜日

悪戯小僧の襟首


 小学校の担任に、襟をつかまれて、教室の外に出された事が、何度もありました。いたずらの度が過ぎたからです。廊下や校長室に立たされて、人の目に晒されると言うのはいやなものでした。それが、たび重なるに連れ、恥ずかしさはどこかに飛んで消えてしまい、立たされながら、次のいたずらを考えていました。してはいけない事を繰り返すと言うのは、それが習慣化されて、罪意識が薄れて無感覚になるからなのでしょう。

 ある方がこう言いました。『私は、自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっている・・・本当にみじめな人間です。』とです。実に私の体験談を言い当てているようです。それで、この方に共感してやまないのです。彼は、石川五右衛門やアル・カポネのような極悪犯罪者ではなく、自分の心の思いや動機でさえも、内省して正しく生きようとしていた人でしたが。

 あるとき、愛媛県のある町に一人の方を訪ねました。母と同じ年に生まれた方で、彼の書かれた本を読んで、大変感動した私は、上の二人の子を連れて表敬訪問したのです。泊めていただいて、夜更けまでお話をさせていただきました。この方が、『私は、この年になっても、女性を犯そうとしてやまない思いに駆られるのです!』と言われたのです。彼は、血気盛んな30代や40代ではなく、70に近い方でした。実に柔和で、弱い人たちのお世話をされ、病人を良く見舞っておられたのです。そんな彼が、人には見えない心の内を、若い私に語ってくれたのです。

 それを聞いた時に、1つの話を思い出しました。退職間近かな校長先生が、ある店で万引きをして、警察に捕まりました。教え子からは尊敬され、退職金ももらえ、恩給もつくのに、なんて事をしたのでしょうか、一瞬にして、すべてが水泡に帰してしまったのです。そこには1つの伏線が潜んでいました。彼女は若いときに、たびたび万引きをしたことがありました。でも一度も捕まりませんでした。そうこうしている間に、教員試験に合格して、教師になるのです。社会的な責任のある間は、問題なく生きることができました。ところが、退職と言う人生の節目に差し掛かって、心が乱れたのでしょうか、昔の習慣化していた盗癖、《処置されていなかった罪性》が露呈されてしまったのです。

 こういった話を聞きまして、自分の心の中を覗き込んで、『ワー、処置されていない数々の過ちが山のようにあるな!』と思わされるのです。旧国鉄にも、6年も学んだ中高にも、京王帝都にも小田急電鉄にも、返さなければならない負債があるのを思い出すのです。『生きている間に、何とかしないと!』、そう思うこの頃です。あの担任のように、襟首をつかんで、罪や思いや過去から、連れ出して欲しいのですが、もうおいでになりません。今度は、自分で自分の襟をつかんで、意思して『出よ!』と言わなければならないのでしょうか。


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。