2007年5月28日月曜日

『日本よ、男よ、松岡よ!』


 日本では、山本勘助や竹中半兵衛、中国では諸葛孔明、このような人たちは、忠実に仕えた、いわば「名参謀」として名を成した人たちです。《次席(ナンバー2》に甘んじて、彼らはその時代を駆け抜けて生き、その生来の力量を発揮して、主君に仕えたわけです。

 こういった超級的な秀逸な人材を参謀、内閣の一員、「メンター(物心両面にわたる支援者)」として持つことが出来たのですから、信玄や秀吉や蜀の国は、どれほど力強かった事でしょうか。イスラエル民族の中に、そう言った序列に入れることの出来る名脇役がいました。彼の進言を聞いた者が、こう言ったと記録されています。『当時、彼の進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。彼の助言はみな、王にも王の息子にもそのように思われた。』ほどだったのです。

 中央政府で活躍する彼こそは、郷土の誇りだったに違いありません。ところが彼は郷里に帰って、家を整理して、あっけなく自死してしまったのです。その理由は、「自分の(進言した)はかりごとが行なわれないのを見て」だったとあります。神童の誉れ高く幼少期を過ごし、大人になっても、遺憾なく能力を発揮した誇り高い彼の名誉心が、いまだかつて味わったことが無い拒絶によって傷つけられてしまったのです。窮地に立たされた時に、彼にも「メンター」が必要だったのです。完全無欠の人間などいないからです。人の強さは、弱さの裏返しなのですから、脆弱で、ひ弱な欠陥部分を、人は誰もが併せ持つているのです。

 彼は、神のことばのような助言を与える事が出来ても、自分の人生上の問題に対して、助言してくれ、叱責してくれる《友》を持たなかったことが原因だったのでしょう。そう言った友が故郷にいなかったと言うのは致命的なことでした。もしかすると人の助言など聞くことの出来る謙りが無かったからなのでしょうか。正直に自分の弱さを隠さずに認め、恥を晒してでも、人は生きなければなりません。

 『男よ、恥を友として、生き恥をかきながら、生き抜いて、何時かきっと、その恥を漱げ!』、これこそ、限りある人の生きるべき道なのです。生きていたら、何時か、恥な経験を逆手にとって、起死回生、誉れを得ることだって出来る道がいありません。

 『死に急ぐな!』と言いたいのです。『日本よ、男よ、松岡よ、なぜ、生きる義務を放棄し、死んでしまったのだ。生き恥をかいてでも、どうして、しぶとく生きなかったのだ!勘助や半兵衛や孔明がいなくとも、お前の最善の友、「メンター」である妻や息子や娘に、なぜ心を明かさなかったのだ!死んだって恥を漱げないのに、生きて恥を漱ぐべきだったのに!』
(写真は、2006年秋に撮影した天津郊外の農村の「男性」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。