「おまけ」を生きる
今日日の子どもは、何に夢中になっているのでしょうか。何時でしたか、我が家の子どもたちが小学生の頃に、「たまごごっち」というのが大流行していましたが。私の小学校時代には、「こうばい」とか「カバヤ」と言う菓子会社があって、小遣いを貰うと駄菓子屋に跳んで行って、この箱入りのキャラメルを買うのが常でした。ざらざらした砂っぽい食感がして、お世辞にも美味しいとは言えませんでした。今もあるのでしょうか。
その箱の中に、「小鶴」、「山下」、「千葉」、「川上」と言った野球選手の名の書かれたカードが入っていたのです。それが欲しくて買い集めていました。そのカードを、机のような平たい板の上において、掌の平出ひっくり返したり、遠くに飛ばしたりして、カードの取りっこする遊びに夢中になっていたのです。塾もゲーム機も無かった時代だったからでしょうか。それが「おまけ」だったのです。
私の親爺が召されてもう35年余りにもなります。その親爺の召された年齢を、去年越えてしまったのですが、親爺が自分の弟のような気がして、妙にくすぐったいような感覚に襲われるのですが、実に不思議なものです。可愛がられたり、拳骨を貰ったり、こっぴどく怒られたので、どう見ても逆転はしないのですが、それでも、『親爺を追い越したんだ!』と言うのは事実なのです。早死にするような気がし、『親爺ほど生きればいい!』と思っていましたが、しぶといのでしょうか、準備が出来ていないのでしょうか、またはすべき仕事が残されているのでしょうか、まだ生き続けています。
肺炎に罹ったり、あわや落雷に打たれそうなったり、台風の最中に多摩川で泳いで流されそうになり、台風襲来の湯河原で遊泳禁止の中を海に入って引き潮にさらわれそうになり、喧嘩して丸太で殴られ、交通事故にあい、大手術を受けたり、何度も死に損なって、今日まで生きて来ました。まさに、「こうばい」とか「カバヤ」のカードのような、「おまけ」を生きているように感じがしてならないのです。
それなのに、この頃は、『もう10年か15年生きてみたい!』といった欲が出てきているのです。でも、長く生きれば、生きるだけ罪が増しますので、召されたい気持ちとの間で、心の思いが左右に揺れている、これが正直な気持ちであります。
先日、日本人の寿命の推移を記した公文書を読んだのですが、1880年(明治13年)には男36歳、女38歳でした。1920年には男42歳、女43歳となり、寿命が50歳を越えるのは、第二次世界大戦の後からなのだそうです。ところが、アフリカなどでは、わが国の明治や大正期の寿命(平均余命)ほどなのだそうです。それには社会的・衛生学的な理由があるのでしょうか。
人の寿命は、いのちの付与者の掌の中にあります。しっかりと生きて、後悔しない人生でありたいものです。『おまけだけど、総仕上げをしなければ!』と思うからなのでしょうか。
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