含羞草
勢いのある夏草や、きれいな色彩の派手な花が好きだったのに、年を重ねたからでしょうか、好みが変わってしまったようです。最近、関心を向けているのが、「含羞草」と書いて《おじぎそう》と読む草です。ちょっと触れたり、大きな音の響きを感じますと、『シュン!』と葉を縮めてしまう草なのです。
苔玉店店長さんが、『日々成長し、明るくなると葉が開き、暗くなるとまた閉じて、まるで人間の生活と同じですね。またデリケートなので、雨や人の手などで触って刺激を感じると、葉はシューっと閉じられてしまい、首からうな垂れていきます。その礼儀正しさは見習わなければなりませんね! 』と仰ってます。草にも礼儀の正しいものがあるのには驚かされるのですが、この「含羞草」は、《羞かしがり屋》に違いありません。さらに遠慮深くて、周りのことに気を配るような、そんな草に違いありません。賑やかなサンバのリズムが響くブラジルが、原産なのには驚ろかされますが、クラッシク音楽を好む方もおいでなのです。 この草は「眠り草」とも言われるのですが、まるで遠慮深い日本人でもあるかのようです。
家内の上の兄が、そのブラジルのサンパウロの近郊に住んでいて、一週間ほど滞在したことがあります。物静かで、いたわり深く、旅の途上の私に、何くれとなく心配りをしてくれたのです。18で、「あるぜんちな丸」に乗って農業移民をしたのです。一緒に胸を膨らませて行った仲間の自死に直面し、その彼を泣きながら葬ったこともあったそうです。旱魃で収穫がなく、食物にも窮し、人に裏切られ、夢破れるような挫折の中から、すっくと立ち上がって、まあまあの身代を築くことができたのです。妻をえ、3人の子を養い育て、自立させた50年の歳月だったようです。なぜか、この義兄が、この「含羞草」のように思えてならないのです。秋には、小さな淡い桃色の花を咲かせますから、ほどほどに茂って、ほどほどに咲いて自然を彩り、そっと散る、そんな草なのであります。義兄は、今、静かな日々を迎えて、ふるさとや来し方を思い返しているのでしょうか。
中庸(ちゅうよう)を正しく生きて含羞草 紫野
(写真は、blog《苔玉店》の「含羞草」、HP《季節の花300》の「含羞草の花」です)
0 件のコメント:
コメントを投稿