心根の優しい父
今で言えば、「高級乗用車」になるでしょうか、父の事務所のあった街の連隊の連隊長の馬よりも、はるかに毛並みの優れたな馬に、『俺は乗っていたよ!』と、父が自慢していました。山の奥にある採掘現場と工場と町の事務所の間を馬に乗って移動していたのです。その連隊長が、父の馬を欲しがったのですが、決して手放さなかったほどでした。馬丁さんに、世話を任せていた自慢の馬だったわけです。
ある日、知り合いが、『美味しい肉が手に入りましたからお持ちしました!』と言って持ってきたのです。疑うことなく父は食べ、母も兄たちも食べたのでしょう。私と弟は、まだ生まれていませんでした。しばらくたったら、それが、自分の愛馬であったことに気付いたのです。食糧難の時代だったこともありますが、馬丁さんの息子が病気になって、どうしても滋養のある食べ物を食べさせる必要があったようです。それで目をつけたのが父の馬だったわけです。それを知った父は、烈火のように怒ったのだろうと思ったのですが、何も言わなかったのだそうです。自分も食べてしまっことでもありましたから。
《人情物》のテレビ番組を見ては涙を流す父を知っていましたから、馬丁さん家族に同情を示したのでしょう、心根(こころね)の優しい父だったのです。「あわれみを愛・・・」することは、物の犠牲に通じるのでしょうか。人生が物の獲得レースではないことを、父は教えてくれたことになります。
(写真は、父が馬の背で行き来した「峠道」です)
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