2009年2月19日木曜日

一兵卒の愛



 この「春節」の休みに、シンガポールに参りましたが、滞在期間延長のため、一旦、シンガポールを出る必要があって、マレーシアのジョホール・バルにつれて行ってもらいました。そのとき、日本軍が、タイから南下して来て、この街を通過して、シンガポールを陥落したことを思い出したのです。

 その街の中心に、日本のジャスコの店舗が、まるでお城のように夜空に向かってそびえていました。『ジャスコはマレーシアに30店舗あるんです!』と聞いて、スーパーマーケット業界の東南アジアでの躍進と、《マレーの虎》と言われた山下奉仕文の侵攻とが、ダブるようにして感じさせられたのです。

 そんな戦時中、南方の島に進駐していた日本軍は、アメリカ軍の攻勢で撤退せざるを得なくなって、島を捨てて飛行機で逃げ出したのだそうです。将校と兵士はみな、飛行機 に分乗できましたが、看護婦さんの乗る余地がなかったのです。結局、『仕方がないが、看護婦は残して行こう!』と言うことになったのだそうです。その時、茂木一等兵という人が、『私は乗らなくてもい いから、ぜひ看護婦さんたちを乗せて行ってくれ!』と叫んだのです。それで、茂木一等兵が残り、代わって看護婦を押し込めるようにして、飛行機は飛 びたったのです。これは、この様子を目撃した人の証言であります。

 その茂木一等兵の消息は、そのまま不明で、南の島でいのちを落としたようです。このような名も階級もない一兵卒が、若い看護婦のために、自分の特権を放棄して、「愛」を示したことになります。評判の芳しくない日本軍の中に、かくなる人がいたことで、ほっとした思いにさせられるのは、私ばかりではないはずです。

(写真は、「ジョホール・バルの税関」、こちら側が、マレーシア、向こう側がシンガポールです)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。